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未翻訳ブックレビュー

Lost In Bookish Rambles. 日本語版発売を待たずに本を紹介するページです

変わるのは火星か人間か - How We'll Live on Mars by Stephen Petranek

How We'll Live on Mars (TED Books) (English Edition)

How We'll Live on Mars (TED Books) (English Edition)
作者: Stephen Petranek
発売日: 2015/07/07

 

"Das Marsprojekt"

第二次世界大戦終結から6年後の1951年、"Das Marsprojekt"(The Mars Project)というドイツ語で書かれた小冊子がアメリカで発行された。

 

作家レイ・ブラッドベリによる1950年作「火星年代記」と発表年はあまり変わらないが、こちらはSFではない。航空宇宙学者のWernher von Braunが、火星探査の方法について考察したものだった。米ソの宇宙開発競争が始まる以前の時代に、地球の軌道上に宇宙ステーションを建設しそこから再利用可能な ロケットを火星に送るという構想を掲げ、実現のために地球からロケットの打上げが何回必要になるかを試算していた。

 

科学系ジャーナリストのStephen Petranekが2015年7月に発表した"How we'll live on Mars”は、紙の本で100ページ弱の短い本だが、その中の一章を割いてこの"Das Marsprojekt"を紹介し、先見性を高く評価している。*1そして、同書の発表から60年以上経った現在も目処が立っていない人類の火星到達が、2027年に実現するというシミュレーションをする。そのときのミッションは、単に火星に行くことではない。火星に住むことだ。最初に降り立ったチームは、24時間以内に実行する最重要タスクとして、regolithと呼ばれる堆積層から、無人探査の時点では存在が確認されている水を採掘しなければならない。それは水分としての利用源だけではなく、酸素を作りだすための供給源にもなるはずだ。

 

Why Mars is still so far and why we need to get there

以前のエントリ(→こちら)で紹介したイーロン・マスクの評伝のつながりで本書を読んだ。火星に到着する最初の宇宙船には、マスクが経営するスペースX社のロゴがあるだろう、と本書は述べる。1966年には国家予算の4パーセント以上あったNASAの予算は現在では0.5パーセント程度である。国際宇宙ステーションへの宇宙船のドッキングを民間で初めて2012年に成功させているスペースX社は、NASAよりも先に赤い惑星へと人類を送る計画を公言している。

 

素朴な疑問として、アポロ11号が月面に着陸したのは(「行っていない」とする陰謀論が正しくないかぎりw)40年以上前なのに、なぜ火星にはまだ無人探査しかできていないのだろう。これは端的に距離の問題だ、と本書は語る。地球の公転周期が約365日であるのに対して、火星は地球時間で687日の周期である。このため、タイミングによって地球から火星への距離は大きく変わる。近い時でも月までの距離の140倍に位置する火星は、最大で1,000倍程度のところまで遠ざかる。月までは往復6日の道のりが、もし火星に行って帰ってくる事を考えるなら、距離が近いときであっても数年分の燃料、食料を準備し、放射線の影響を防御する策が必要になる。

 

もうひとつ浮かぶ疑問は、何のために火星に行き、居住するのかだ。人類を"multiplanetary species"(複数の惑星に住む種)にすることを目標に掲げるイーロン・マスクは、火星への移住にお金をかけることは「人類全体にとっての保険」のようなものだと述べる。環境破壊やエネルギー枯渇などにより地球に居住できなくなったときに備えて、地球以外の惑星へも移住できるようにしておくべきであり、GDPの0.25〜0.5%ならば保険のプレミム料として支払う価値がある金額なのではないか、マスクは本書でそう語っている。

 

しかし、環境破壊やエネルギー枯渇で地球が居住に適さなくなるというシナリオに、リアリティを感じている地球人はどれぐらいいるだろう。個人的には、本書で簡単に言及されていた「火星と木星の間の小惑星帯にある豊富な金属・ミネラル資源を採掘する」という計画の方が気になった。大航海時代の冒険者たちが、居場所を追われたのではなく、パトロンから出資を募って純粋に富を求めて新大陸を目指したように、欲望に駆られた一部の人々が火星探査のフロンティアに向かうのかもしれない。

 

Do we change Mars or change humans?

さて、目的や理由が何であれ、火星に到達しそこで生存するなら、人間が地球で恩恵を受けている、水、食物、(放射線を避けるための)シェルターと衣服、そしてもちろん酸素を全て用意する必要がある。

 

当たり前だけどこれは大きなチャレンジだ。凍った堆積層から水を取り出せるだろうか。地球の60パーセント程度とされる日照量で食物を育てるとなると候補はキノコ類やコケ類だろうか。タンパク源としては昆虫が考えられるかもしれない。いや、その前に酸素をどうやって調達すればよいか。地球で人間が呼吸する大気はおよそ21パーセントの酸素と78%の窒素で構成されているが、このミックスバランスは重要で、酸素の割合が低すぎれば我々は酸欠で青くなるし、高すぎても肺を傷つけてしまう。無人探査機Curiosityが収集した情報によれば、火星の大気の95%は二酸化炭素だ。本書では、CO2があればその分子量の72%はO2であるし、水が見つかればH2Oから電気分解でO2を取り出せるはずという見立てをしているが、一定量の酸素を安定的に調達できるのだろうか。

 

人間の生存に必要な要素を自前で調達する事がいかに大変であるかを本書で読むと、むしろ、地球がいかに人間やその他の生物にとって「ちょうどいい」環境であるかがよく分かる。実はこれが本書の一番のポイントかもしれない。

 

人間の生存に必要な要素はそれぞれ独立したものではなくてチェーンのようにつながっている。そもそも火星の平均気温は-40℃にもなるような冷たいものだが、仮に温度を上げられれば、今は凍っているガスが大気に放出され、希薄な大気の密度が上がり、温室効果により更に気温が上昇する。気温の上昇により氷が溶けて水が流れ出せば、植物を育てることが可能になる。植物は大気中に酸素を加える。地球では所与のものになっているこれらの環境に火星を近づけるのがいわゆる「テラフォーミング」になるわけだが、本書では、火星の大気のミックスバランスを変えるだけでも「最も楽観的なシナリオで」900年ぐらいかかると予想している。

 

900年という数字を聞くと、ひとつの疑問が湧いてくる。読む進めていくと、次の記述にぶつかる。

“the true answer to how we’ll survive on Mars may not lie in how we’ll change Mars, but in how we’ll change humans."

「我々が火星でどう生き延びるかについての本当の答えは、我々が火星をどう変えるかではなく、人間をどう変えるかにあるのかもしれない。」

 

そうなのだ。

数百年というタイムフレームで考えるならば、火星を人間に適した環境に変える技術よりも先に、人間の体を別の惑星でも生きられるように変えてしまう技術が生まれるかもしれない。肺や血液細胞を操作して、二酸化炭素から酸素を取り出せるようになるかもしれない。本書には、「放射線の影響を受けにくいヒトの遺伝子を研究して、宇宙飛行士には遺伝子操作を受けさせるべき」と語る生物学者が紹介されている。別の本で読んだ話だが、ソフトウェア化した人間の意識を機械の体にダウンロードして宇宙旅行をするというアイデアを掲げている研究者もいるぐらいだ。*2

 

「火星に行く」だけならば物理学であり宇宙工学だけの問題なのかもしれないが、「火星に住む」となると、生命科学であり遺伝子工学の世界になり得る。もしかしたら、イーロン・マスクもいずれグーグルみたいにバイオベンチャーに出資したりするのかも。

 

Stephen Petranek著"How we'll live on Mars”は、TED Booksという、TEDの出版部門?から2015年7月に発売された一冊。日本語版の出版予定は不明。たぶん新書みたいなモノなので(「NHK出版新書」とかそんな感じ)、日本語版は出ないんじゃないかと思う。

 

*1:

ヴェルナー・フォン・ブラウン博士(Wernher Magnus Maximilian, Freiherr von Braun, 1912-1977)はドイツ人科学者。ナチスドイツ時代に軍事用ロケットを研究。親衛隊とゲシュタポに「フォン・ブラウンが地球を回る軌道に乗せるロケットや、月に向かうロケットを建造することについて語ることをやめない」として国家反逆罪で逮捕される。戦後はアメリカに亡命し、NASAのマーシャル宇宙飛行センターの初代所長を務めアポロ計画に中心的な役割で関与した。

https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/f/ff/Wernher_von_Braun.jpg/390px-Wernher_von_Braun.jpg

Wernher von Braun - Wikipedia, the free encyclopedia

*2:

アナリー・ニューイッツ著「次の大量絶滅を人類はどう超えるか」によると、英オックスフォード大マーティン・スクールのアンダーズ・サンドバーグは、「生物学的肉体を宇宙に行かせるのは、ばかげた話」と語り、サイボーグに近い形で、アップロードした脳で機械の体を操作し、放射線による損傷や食糧不足など宇宙旅行に伴う試練を防ぐというビジョンを提案しているらしい。

でも、脳をアップロードしたら、もはや体を操作する必要も宇宙に行く必要もないのでは??

次の大量絶滅を人類はどう超えるか:離散し、適応し、記憶せよ

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