未翻訳ブックレビュー

世界の本への窓 by 植田かもめ

イスラエルでは裏切り者、他の国でもボイコット - エトガル・ケレットインタビュー抄訳

”In Israel people would boycott me saying I’m a traitor, and overseas people would boycott me because I’m Israeli.”

「イスラルでは人々は私を裏切り者と呼んでボイコットし、海外ではイスラエル人だからという理由でやはり人々は私をボイコットする。」

“We’re all listening to the same music, but maybe in Israel … the volume is slightly louder.”
「私たちはみな同じ音楽を聴いている。でも、おそらくイスラエルではボリュームが少しだけ大きいんだ。」

 

イスラエルの作家エトガル・ケレットの自伝的エッセイ集「あの素晴らしき七年」(The Seven Good Years)の日本語版がつい先日(16年4月)新潮クレストブックスから発売されていて読んだ。

 

これがほんとうに素晴らしい本で、冷笑と諧謔とやさしさと愛が入り混じった小編群は舞台がイスラエルのウディ・アレン映画のようだった。

(アマゾンにそんなレビューを投げた:テルアビブのウディ・アレン

 

この本を全力でプッシュする記事をこの記事とは別にまた書こうと思うけれど(2016/05/10 追記:全力で書いた!)、英ガーディアン誌のページによくまとまったインタビューが載っていたのでその中から発言をいくつか抄訳しておく。

 

 

「あの素晴らしき七年は私が父の息子であると同時に息子の親でもいられた年月だった。それは私が過去を振り返り未来に目を向けた日々だった。ほとんどの人にとってはささいな事かもしれない。でも、ホロコーストのブラックホールから出てきた私の両親にとっては、こうした継続の感覚(sense of continuation)は切望したものでありファンタジーなのだ。」

 

ユダヤ人であるケレットの両親は600日近く地中の穴に身を隠してホロコーストを生き延びた経験を持つ。ケレットはイスラエルを代表する作家*1だが、これまでは短編小説を主に書いていてエッセイ集は今回がはじめてだ。けれど、本書は母国イスラエルでは発売の予定がない。

 

「フィクションを書くのは快適で、どんなに正直になったとしても自分がさらけ出されているような感じはしない。これらのエッセイは、電車の中で見知らぬ人に話すにはいいけれど、友人や近所の人には言いたくないような話なんだ。」

 

'平和を望むと命が危険にさらされる'イスラエルにおいて、ケレットは政府に批判的な発言を繰り返すリベラル派として知られている。本書はもともとヘブライ語で執筆されたが英語翻訳版が決定版であり、オリジナルというものが存在しない。母のない子のような本書は今回の日本語版を含めて世界20ヶ国で出版されているが、ケレットは母国だけでなく外国でも排斥にあった経験があるという。

 

「私は板挟みになってしまっているのに気づいた。昨年夏の戦争時、イスラエルにいた私は政府を批判しガザ戦争を批判して、妻と息子を殺すという脅迫を受けた。一方で外国を訪れると、私のことを人殺しで手が血に染まっていると言う人たちがいる場所へ行くことがある。イスラルでは人々は私を裏切り者と呼んでボイコットし、海外ではイスラエル人だからという理由でやはり人々は私をボイコットする。」

 

本書は家族についてのエッセイであり、表立った政治的な主張はない。インタビュー記事では本書における戦争の扱いを"something akin to rain in the British summertime, just a miserable backdrop againsh which the rest of life is played out"(英国の夏の日の雨のように、繰り広げられる人生が背負う憂鬱なもの)と表現している。そんな「戦時下」の状況でどう子どもを育てるかが本書では描かれている。

 

「世界の他の場所で暮らしていても、子どもを育てるのは簡単ではなく、(世界がなぜそうなっているか、なぜ紛争があるのかといった)問題に答えるのは簡単ではないと思う。でも、おそらくそうした大きな問題を脇に追いやっておくのは簡単だろう。私たちはみな同じ音楽を聴いている。でも、おそらくイスラエルではボリュームが少しだけ大きいんだ。」

 

最後のひとことは、サイレンなどの音が日常的に鳴っているイスラエルでは音楽のボリュームを上げないといけないというジョークなのだけど、「世界の人間は同じ時代を共有している。そして状況はそれぞれ違う」ということをこんなに上手く表現する作家って他にいるだろうか。個人的にはこのユーモアセンスがこのひとのいちばん好きな点だ。上に紹介したインタビューの発言では想像もつかないかもしれないが、本書は「電車の中で読まないでください」と言いたくなるほど声に出して笑ってしまうようなシーンがいくつもある本なのだ。

 

あの素晴らしき七年 (新潮クレスト・ブックス)

 あの素晴らしき七年 (新潮クレスト・ブックス)

*1:エトガル・ケレットは村上春樹が2009年に「壁と卵」と題した受賞スピーチを行ったエルサレム賞の選考委員のひとりだったそうです