未翻訳ブックレビュー

Lost In Bookish Rambles. 日本語版発売を待たずに本を紹介するページです

ミチコ・カクタニと、ルー・リードの、テジュ・コールのニューヨーク

オープン・シティ (新潮クレスト・ブックス)

目次

 

ミチコ・カクタニについて

Michiko Kakutaniという人がいる。日系2世の米国人である彼女は、おそらく英語圏では世界一有名な書評家のひとりだ。1998年にピュリッツァー賞の批評部門を受賞し、2017年の1月には退任を間近に控えたバラック・オバマへインタビューを行い大統領に読書遍歴(と作家としての遍歴!)を尋ねている。

 

その彼女が、40年近くに渡り務めたニューヨークタイムズの書評担当チーフを2017年7月で退任することが先月発表された。幾つものWebメディアがこれをニュースとして取り上げている。Vanity Fair誌は辛口で知られる伝説的な批評家の退任を「世界の作家たちは今夜はより安心して眠れるだろう」と伝えた。

 

ミチコ・カクタニは作家や出版社と私生活で交流を持たず、表舞台にあまり顔を出さない。ちなみに彼女のツイッターのアイコンはデフォルトのタマゴのままだ。その存在は「大御所批評家」という記号というかアイコンのように流通していて、例えばドラマ「セックスアンドザシティ」の中でも主人公がその名を口にしていた。

 

無名の作家を激賞する一方で、どんな大物作家の作品でも批判する。ドン・デリーロの「コスモポリス」のレビューでは「ひどい失敗作であり、ヴィム・ヴェンダースのダメな映画と同じくらい陰鬱かつ強引で、Interview誌の古い号と同じくらい時代遅れである」と評し、ひとつの文で小説と映画と雑誌の3つをコンボでディスるという離れわざを見せたりしている。*1

 

でも、辛口といった表面的な要素は実はどうでもよくて、本を語ることが同時に本以外についての批評にもなっている、という広がりが彼女の書評の最大の魅力だと思う。

 

彼女の評論には"I"という言葉がほとんど出てこない。主語になるのは対象となる作品であり作家だ。でもそれが同時に、都市や社会やミチコ・カクタニ自身への批評にもなっている。本の内側に光を当てて、その外側に広がる世界の影を透かして見せる。それは書評であると同時に都市案内や社会時評であり、私という言葉を使わない自分語りである。

 

以下、彼女自身が暮らす都市でもあるニューヨークについて言及した2つの記事をさわりだけ勝手に訳してみた。ひとつは2013年のルー・リードへの追悼文。もうひとつは最近日本語版が発売された、ナイジェリア系アメリカ人作家テジュ・コールの「オープン・シティ」に対する2011年のレビューである。どちらもすごく素敵な文章なので、良さそうと感じたらぜひ原記事を読んで雰囲気に触れてみていただきたい。難解な言い回しも多いけど。

 

ではどうぞ。

 

イントロ訳:ルー・リードへの追悼文 

Lou Reed’s New York Was Hell or Heaven (2013)
ルー・リードのニューヨークは地獄か天国 

 

彼は、ハスラーやドラッグ・クイーンやスピード・フリークたちについて書いた。そして、ニューヨークのホテルや夜のストリートにたむろする、ありふれた夢追い人や社会不適合者や落ちぶれた人々について書いた。彼と同じくニューヨークで生まれた者や、何者かになるためにやって来てワイルドサイドを歩く、全ての迷い子や辺境者たちである。それは、昼と夜の区別がつかない(“can’t tell the night from the day”)ポーリー・メイや、1日だけのジェームス・ディーン(“she was James Dean for a day”)だったジャッキーや、リンカーン・トンネルのそばに立ち造花のバラを1ドルで売る(“selling plastic roses for a buck”)小さな子どもや、壁や電車にスプレーで落書きをするドラッグ中毒のキッズたちだった(“druggy downtown kids who spray-paint walls and trains”)

 

ルー・リードのニューヨークはタフな場所だった。それは暗いパーティーのバー( “dark party bars”)やネオンが灯る場所であり、サーカスか下水道のような楽しい場所だった(“funny place/Something like a circus or a sewer”)。新しいビル群は高くて四角い同じようなものではあったが(“new buildings/Square, tall and the same”)、チャンドラーのロサンゼルスやボードレールのパリのように、そこは特色がある場所だった。彼はジャーナリストのような観察眼と深い共感を持ち合わせて、詩人の優しさとストリートに通じたバッドボーイの頼もしさを併せ持ってニューヨークを描いた。タイムズスクエアが洗浄され洗練された後も、ヴィレッジやソーホーやトライベッカがうす汚れたボヘミアンたちのたまり場から高価な不動産を探す検索エンジンが指す目的地へと変貌した後も、彼が創造したサウンドトラックは何十年ものあいだ鳴り響いている。

*訳注:英語を併記した箇所はすべてルー・リードの歌詞の引用になっている

 

(続きは以下の原記事でどうぞ)

Lou Reed’s New York Was Hell or Heaven by Michiko Kakutani - The New York Times

 

*このアルバムの最初のRomeo Had Julietteという曲だいすき

 

イントロ訳:テジュ・コール「オープン・シティ」のレビュー

Roaming the Streets, Taking Surreal Turns (2011)
ストリートの彷徨、シュールな方向へ

 

テジュ・コールの、風変わりでときに胸を打ちときにフラストレーションを誘う最初の小説の語り手は、ニューヨークの街をさまよい歩くことを愛するジュリアスという名前の研修医である。この本には「もっとも奇妙な島」であるマンハッタンの、人目を引くストロボライトの瞬きが垣間見える。

(中略)

コールが描くニューヨークには微かに幻覚的な感覚がある。T.S.エリオットの「荒地」に収められた「空想都市」の現代版のようだ。「ナイト・オブ・ザ・リビングデッド」のように群衆が路上に溢れ、匿名の声が不協和音を奏でるメトロポリスである。またあるときには、彼が描く都市は親密で小さな街でもある。家族の絆、宗教、人種でつながるか、あるいはたまたま想いを分かち合ってつながる、社交的な隣人たちの連なりである。

 

何よりも、ナイジェリアで育ち1992年にアメリカへと移った作家であり写真家であり美術史家でもあるコールのニューヨークは、移民の都市だ。ナイジェリア人、ケニア人、シリア人、レバノン人、マリ人、ハイチ人、中国人。移民たちは、自国の悲しい歴史から逃れ、自分たちにとってのアメリカン・ドリームを追い求めるためにやって来たのである。

 

(こちらも続きは以下の原記事でどうぞ)

Roaming the Streets, Taking Surreal Turns

 

オープン・シティ (新潮クレスト・ブックス)

オープン・シティ (新潮クレスト・ブックス)

 

 *日本語版読んだけど、飛行機で隣の席になったインテリとずっと駄弁っているような(ほめている)とても良い本だった

 

おわりに

さて、2016年に出されたプレスリリースによると、ニューヨークタイムズは本に関する独立したセクションを持つアメリカで最後の日刊紙らしい。

 

デジタル強化を含む紙面と組織の再編を進める同社は早期退職制度(voluntary buyout program)を提案していて、今回のミチコ・カクタニの退任は同制度を選択したものだと上にリンクしたVanity Fair誌は報じている。要するにリストラであり、彼女はこれに応じた社員の中で最も「重鎮」のひとりだという。

 

このブログで紹介している未訳本には、彼女のレビューで知ったものがいくつかある。先日記事にした「アメリカン・ウォー」という小説もそのひとつ(過去記事「戦争はいつも海の向こうで始まるか」)。信頼できるネタ元のひとつがなくなってしまうのは残念だけど、同じ職に40年近くも留まるというのは本人にとっても組織にとってもあまり良くないことなのだろう。

 

なお、ミチコ・カクタニは完全に引退するわけではないらしい。本人はツイッターで、「本について書くのが好きなのは変わらないけれど、政治と文化についてのより長い論考に注力したい」と述べている。2016年の大統領選挙期間中に"Hitler: Ascent 1889-1939"というヒトラーの評伝を採り上げた彼女はトランプ時代のアメリカをどう論じるのだろう。

*1:“a major dud, as lugubrious and heavy-handed as a bad Wim Wenders film, as dated as an old issue of Interview magazine”

以下のニューヨーカー誌の記事より引用