未翻訳ブックレビュー

世界の本への窓 by 植田かもめ

世界全体があなたを愛する楽園 - 村田沙耶香「消滅世界」

消滅世界 (河出文庫)

 

「LGBTは子どもを産まないため生産性がなく、彼らに税金を投入するのはおかしい」という主旨の寄稿をした国会議員がいた。

 

この意見は差別だし真っ当な反論は各所でされている。でも、その議員には別の質問もしてみたい。もし次のように訊いたら、なんと答えるだろう。

 

「たしかにLGBTって生産性がないですよね。でも、ヘテロの男女家族も、生産性低くないですか?だから、人工授精の研究を進めて、家族とか結婚とか関係なく子どもが生まれる、生産性の高い社会を目指しませんか?」

 

村田沙耶香の小説「消滅世界」は、そんな「高い生産性」が実現した社会の物語である。2018年の7月に文庫化されて読んだらめちゃくちゃ面白かったので、これは同書の紹介と、考えたことについての記事。

 

目次

 

繁殖が性愛と分離した社会

この小説の設定をざっと要約してみる。

 

セックスではなく人工授精による子どもの出産が定着した世界。そこは、出産や子育てが、性愛や結婚と分離した世界だ。

 

夫婦間のセックスは「近親相姦」としてタブー視されていて、かわりに、フィクションの世界でのキャラクターとの恋愛や、家庭の外での恋愛が推奨される。そのタブーを破って妻とセックスをしようとした男性は「普通、そういうことは外でするでしょう」と糾弾される。

 

そして、子どもを家族だけに背負わせず、社会全体で育てるという思想をこの世界は徹底的に実現している。人工授精を誰が行い、誰が出産するかは公共機関が管理する。「夫婦」という単位は存在するものの、人工授精で出産する子どもは自分の配偶者の子どもとは限らない。しかも、女性だけでなく、男性も妊娠して出産をする。社会全体がひとつの子宮であり、性別にかかわりなく「すべての大人がすべての子どもの『おかあさん』となり」「すべての子どもを大人全部が可愛がり、愛情を注ぎ続ける」社会である。子どもは全て「子どもちゃん」と呼ばれ、道を行く子どもちゃんは、通りすがりの大人にも「おかあさん」と話しかける。

 

これは現代の私たちの常識には反する社会かもしれない。でも、ここには愛がなく生まれて育つ子どもはいない。ワンオペ育児もなければ、親の世代の経済格差が子どもに影響することもない。「子どもは親を選べない」という、人類がまだ克服できていない不平等を、乗り越えようとしている社会である。

 

第1回の人工授精でできた子供は8歳になり、「家族(ファミリー)」システムで育った子供より、均一で安定した愛情を受けることで精神的に安定し、頭脳・肉体ともに優秀であることが証明されています。生まれついた「家族」が機能不全であることによる不公平なリスクを子供が負うことはありません。

 

家族は無数にある動物の繁殖システムのひとつ

村田沙耶香がすごいと思うのは、こうした社会を、歪んだ社会として描くのではなく、その価値観に順応していく人々を描写している点だ。

 

主人公は、この世界ではタブーとされている両親間の恋愛とセックスの末に生まれた女性であり、自らもそれを実践しようとするが、「恋とセックスを繰り返す自分がなんとなく責められているように感じてしまう」。

 

主人公の制度上の夫はやがて男性として妊娠する。主人公はそこで生まれる子どもが自分たちの精子と卵子から授精した子どもであることに固執しようとするが、夫はそのこだわりをだんだん面倒くさいと感じ、社会の共通財産である「子どもちゃん」を産むことに喜びを感じる。

 

つまり、この社会を生きる人間は、このシステムに吸収されて、その中で個人として幸福になる。やがて主人公も次のように語り、恋愛による結婚と出産という「古い価値観」を持ち出す母の批判を受け流す。

 

他のシステムの中で実際に繁殖をはじめてみると、「家族」というのは無数にある動物の繁殖システムの一種にすぎなかったのだと思えてくる。(中略)他にいくらでも選択肢はあるのだということを、私たちは知ってしまったのだ。

「お母さんは、きっとどこの世界でも違和感がある10%くらいの人間なのね。私は、どこでも違和感のない人間なんだと思うわ」

 

奴隷の幸福と失楽園

この作品で扱っているテーマのひとつは「奴隷として楽園で幸福になるのと、地獄であっても自由に暮らすのとどちらがよいか」というテーマだと思う。

 

これは様々な小説や映画で描かれているテーマだ。町山智浩が2009年にダークナイト論としてまとめて語っているのが名解説なのでぜひ聞いていただきたい。「進撃の巨人」の諫山創にも影響を与えた解説である。*1

 

 *元の音声ファイルのリンクはこちら

 

解説は長いので、簡単に話をピックアップする。この解説ではダークナイトを入り口にしてジョン・ミルトンの古典「失楽園」に言及している。「失楽園」では、悪魔は神に敗北する。でもそれは、神の奴隷となり楽園で生きるかわりに、地獄で自由に生きることでもある。それは、神の家畜であったアダムとイブが、エデンの園を出て、人間としての実存を手に入れたこととも重なるという。人間は「神の正しさ」に背く自由があってはじめて人間らしくなれる。暴虐の限りを尽くした「時計じかけのオレンジ」の主人公アレックスが自由を奪われたときに観客が落胆を感じてしまうのも、「ダークナイト」で身柄を拘束されたジョーカーが脱走に成功したときに観客がカタルシスを感じてしまうのも、そこに人間の自由の勝利を見てしまうから。

 

村田沙耶香の「消滅世界」の面白いポイントのひとつとして、子どもを社会で育てるシステムは「楽園」(エデン)システムと名付けられている。上の失楽園解説を聴くと、その文脈もよくわかる。アダムとイブは、楽園を追われて、人間として生きる自由と家族システムを手に入れた。「消滅世界」では、その逆に、子どもを家族から社会に還し、人は再び楽園へ戻っていくのだ。

 

「この世界には、家族って概念がないよね。人類は、そろそろ禁断の果実の効力が切れて、楽園に帰って行っちゃうのかもしれないね」 

 

「消滅世界」の舞台である実験都市(ちなみに千葉という設定)では、「命を大事にする」という圧倒的な正しさの前に、個人が何かを決定する自由は放棄される。

  

私たちは世界に陳列された命で、それだけだった。世界はいつでもそうだった。生命はいつでも正しかった。

「正しさ」という聞こえない音楽が、私たちの頭上で鳴り響いている。私たちはその音楽に支配されている。

 

これは、生殖だけに限らず、技術が人間を追い越す分野でなら、どこにでも起こり得る未来だと思う。たとえば自動運転技術が完全に人間を上回ったら、老人(または全ての人間)から運転する自由をはく奪すべきか、など。

 

世界全体から愛されなくてもいい自由

さて、作中の主人公は最終的に楽園システムにある種の亀裂を入れる。とはいえ、本書の設定は、端的に言って、正しさの前に自由が負ける社会だ。最後に、それが本当によい社会なのか考えてみる。

 

本書中の楽園システムについての説明に、以下のような記述がある。

 

「近年の研究で、旧来の家族システムのような形ではなく、『世界全体から愛されている』という感覚を得ながら育った子供のほうが、優秀で、安定した精神を持った状態に育つことが証明されています。」

 

本書が描く社会の正しさにチャレンジする余地があるとしたら、ここだ。

 

これは小説中の記述だけど、リアル社会で、こういう自然実験を誰か研究していないだろうか。つまり、「世界全体から愛されている感覚を得ながら育った子ども」は、本当に安定した精神を持った状態に育つのか、実際の研究結果があったら見てみたい。

 

「消滅世界」では、全ての大人が親となり、全ての子どもに、愛情を与える。でもそれは裏を返すと、親の価値観が社会の価値観と完全一致している世界であり、社会で正しいとされる事を、親が教える世界だと思うのだ。

 

でも、家族の役割ってむしろ、社会の価値観とは別の価値観を用意しておくことなのではないだろうか。社会全体が自分の敵になっているときでも、家族だけは味方をしてくれる、と。

 

「消滅世界」の、世界全体から愛される「子どもちゃん」は、世界全体から愛されなくてもいい、という自由を得られない。それは本当に安定した精神をもたらすのか。

 

それはさながら、全員が強制参加で、全員が全員の投稿に賛意を示さないといけないソーシャルメディアみたいなものだ。はたしてそこは楽園だろうか。それとも、そっちが本当の地獄だろうか。

 

村田沙耶香「消滅世界」は2015年に発表された小説。彼女の芥川賞受賞作である「コンビニ人間」は、2018年の6月に英語版が発売された。ぜひ次はこの「消滅世界」が翻訳されてほしい。世界の人がどんな風に受け取るのか感想を見てみたい。

 

Convenience Store Woman

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消滅世界 (河出文庫)

消滅世界 (河出文庫)

 

 

*1:なお、拙ブログは実写版「進撃の巨人」は存在しなかった事にしている時空からお送りしています