未翻訳ブックレビュー

世界の本への窓 by 植田かもめ

XにおいてYであることについての本(そして自分語りはなぜつまらないのか論)

Letters to a Young Muslim

Omar Saif Ghobash - Letters to a Young Muslim

 

仮説。世の中のエッセイはすべて「XにおいてYであること」についての文章であると分解できる。

 

Xは外部環境のことで、時代や国や所属する組織や家族などを指す。

Yは内部環境のことで、性別や人種や年齢や職業といった自分自身の属性を指す。

 

駐ロシアUAE大使であるOmar Saif Ghobash(オマール・サイフ・ ゴバッシュ)によるLetters to a Young Muslim(若きムスリムへの手紙)という本を読んでそんなことを思った。

 

目次

 

21世紀の世界においてムスリムであること

 

著者のゴバッシュは自らの父をテロリストの攻撃で1977年に失った。本書は、父が被害にあった時の年齢である40代中盤に差しかかった彼から自分の息子たちへの手紙である。

 

21世紀の世界においてムスリムであるとはどういうことかを本書は説く。10代中盤の息子への手紙という体裁なので、イスラム教とはそもそもどんな宗教なのかから解説していて、入門書としても使える。

 

全世界に17億人いるイスラム教徒は、他のどの宗教よりも若年層の割合が高くて、今後も人口が増加し続けると予想される。ちなみに、ヒンズー教徒が多数のインドでも「マイノリティー」であるイスラム教徒の数だけで約1.8億人だという。また、本書とは違うソースだけど、アジア最大のイスラム教国であるインドネシアは2050年までには日本も抜いてGDPで世界4位の大国になるとする予測もある。*1

 

ISなど原理主義的な勢力に注目を奪われてしまいがちだけど、どんな宗教も、豊かになったら基本的に穏健化する。ゴバッシュは本書で穏健なイスラム教のあり方を模索し「ムスリム個人主義」という概念を提唱する。さらに宗教と伝統は別であるとして、たとえばブルカ(女性のヴェール)は宗教ではなくただの伝統なのだと説く。

 

いろいろなXやY

さて、本書以外でも、世の中のエッセイは「XにおいてYであること」についての本だと定義できる。近作だと、たとえばタナハシ・コーツの「世界と僕のあいだに」やロクサーヌ・ゲイの「バッド・フェミニスト」といった本は、アメリカという国、2010年代という時代といった外部環境Xにおいて、黒人や女性etc.であることについての本であると言える。日本のエッセイでも同じはず。

 

世界と僕のあいだに

世界と僕のあいだに

  • 作者: タナハシ・コーツ,Ta-Nehisi Coates,池田年穂
  • 出版社/メーカー: 慶應義塾大学出版会
  • 発売日: 2017/02/07
  • メディア: 単行本
  • この商品を含むブログを見る
 

関連過去記事: 書くことは、失敗すること - Ta-Nehisi Coates on Writing

 

バッド・フェミニスト

バッド・フェミニスト

 

関連過去記事:彼や彼女を好きになれるかはどうでもいい

 

自分語りはなぜつまらないのか論

 

そして、以上を踏まえつつ、ここからは持論。

 

エッセイであれ日記ブログであれ、文章がうまい人って、自分語りをしつつも、ちゃんと外部環境のXを描写しているのではないだろうか。

 

宗教や人種といったテーマを離れてすごく単純化すると、たとえば就活について、

A社の面接を受けたけど落ちた。

とても悔しい。

と書きたいとする。

 

このときに、

A社の面接を受けたけど落ちた。

一緒に受けた友人たちは私以外全員受かった。

とても悔しい。

と入れると、最後の「とても悔しい。」という言葉を変えなくてもその意味が強まったり、

A社の面接を受けたけど落ちた。

一緒に受けた友人たちも全員落ちた。

とても悔しい。

と入れると、その意味合いが変わってきたりする。

 

映像にカメラワークがあるように文章にもカメラワークってある。外部に言及せず自分についての文ばかりが続くと、読み手にとっては役者の顔のアップが固定で延々と続く映像を見ているような気分になるのだと思う。

 

ちょっと脱線すると、これは歌詞なんかにも言えるはずで、

雨が降っている でも傘がない

だけだと、はあそうですかで終わりなのだけど、

都会では自殺する若者が増えている

だけども問題は今日の雨 傘がない

(井上陽水「傘がない」)

になると、社会との距離感が見えてくる(自殺する若者が増えてようと知ったこっちゃなくて自分にとっては傘がないことの方が問題だ、という距離感だと管理人は解釈している)。

 

外部環境と内部環境を分けるのって、企業分析ではSWOT分析とかよくある手法なのだけど、エッセイとかを書いたり読んだりするときにも応用できるんじゃないかと思う。

 

さらに言うと、外部と内部に分けて複数の要素を組み合わせて何かを語ることは差別化にもつながる。ミドリムシのユーグレナの出雲充氏は著書の中で、ビジネスでは「1番になること」が重要だという。でもそれは、誰もが日本で1番や世界で1番を目指すという意味ではなく、自分が1番と言えるまで領域を絞り込むという意味だ。

 

多くの人は「この分野なら自分が1番だと自信を持てない」と考えるだろう。でも、それは違う。誰だって、特定の狭い分野で、偏執的に追求していけば、必ず1番になれる。(中略)ラーメン屋を経営するなら「飯田橋駅から徒歩10分圏内で1位の美味しさを目指す」というので十分勝負できる。「多摩ニュータウンで一番使いやすいコミュニティ・ビジネスを始める」だっていいのだ。

出雲充「僕はミドリムシで世界を救うことに決めました」より

 

これもビジネスだけでなく汎用できる話だ。延々と顔のアップが続いても許される役者がほんのひと握りなのと同じように、自分のことだけを語り続けて面白い人というのはほとんどいない。けれど、自分を取り巻く外部のXに目を向けて、そことの関係性の中に自分というYをマッピングできれば、誰でも自分だけの座標で物事を語れるのではないだろうか。

 

以上、記事の前半で紹介した本の話からだいぶ逸れて文章論みたいな話になったけど終わり。

 

Letters to a Young Muslim

Letters to a Young Muslim