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【抄訳と雑感】ゼイディー・スミスがSNSを遠ざける理由

 

小ネタ記事。

 

英国の作家ゼイディー・スミスがソーシャルメディアについて語った英ガーディアン誌の記事を抄訳した。管理人の雑感付き。短いので、気に入ったらぜひ原記事も読んでいただきたい。ではどうぞ。

 

抄訳

ゼイディー・スミス、ソーシャルメディアの使用は執筆活動を脅かすと語る

ツイッターやインスタグラムを避けることは、彼女の「間違ってもいい権利」(right to be wrong)を守る。小説家はインタビューでそう語る。それは、瞬間的な公の反応によって抑圧されてしまう権利だ。

※太字化は管理人によるもの

ゼイディー・スミスは、ソーシャルメディアを遠ざけることが、他人の反応を気にせず「間違ってもいい権利」をいかに自分に与えているかを語った。彼女は言う。もし作品への読者の反応を知ったら、自分は書くことができないだろうと。

ニューヨーカー誌のライターであるJia Tolentinoとの公開イベントの中で、英国出身のこの小説家は次のように語った。「私はツイッターにいないし、インスタグラムにいないし、インターネットにいない。だから、人が自分に向かって叫ぶのを聞いたことがない」 

ソーシャルメディア上の議論を分析してスミスは言う。「ツイッターを見てきたけれど、人々は朝9時にとても強い感情を抱き、11時までに叫び、4時間後には全く反対の感情を抱く。それって、とても不幸なことだと思う。」

「私は自分の感情を持ちたい、たとえそれが間違っていても。たとえそれが不適切でも。私の心と頭のプライパシーの範囲内で、それを表現したい。それを脅かされたくない。」

彼女は続けて言う。「パブリックな生活、ソーシャルな生活、ポリティカルな生活、そこでは適切にふるまうことが大事だと分かっている。でも、自分の魂に対してもそうなのか?それは違う。」

私たちは「間違ってもいい権利」を保持できるべきだ。小説家はそう語り、付け加える。「私はほとんどいつも間違っている。間違ったってOK。本当にOK。人は感情の中にただ座り込んで対峙するべきだ。最初から確かだと感じたことなんて私にはない。そうした失敗の連続が、私が私の小説と呼ぶものなのだ。」

 

雑感

「間違ってもいい権利」(right to be wrong)って、とてもいい言葉だ。

 

自分もツイッターとか細々とやっているけれど、たまに思うのは、ソーシャルメディアの場で「適切な」もっともらしい正論を言ったり、誰かの誤りを指摘するのって、なんて簡単なんだろうということだ。

 

いまのソーシャルメディアは、「ソーシャル」と言いながら、あんまり「パブリック」(公共の場)ではない。公共の場では恥ずかしくて言わない正論を振りかざし、公共の場では他人に直接言わない悪口をぶつけるナゾの場所。

 

誤りが瞬間的に叩かれる時代には、周りの反応を気にしないで、間違っても前に進める人って最強*1なんじゃないかと思う。ゼイディー・スミスが言う「間違ってもいい権利」(right to be wrong)に加えて、「間違えられる才能」(talent to be wrong)って、IQやEQよりも重要な能力かもしれない。

 

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*1:いわゆる「炎上商法」を意図的にするような人は論外、という前提。