未翻訳ブックレビュー

世界の本への窓 by 植田かもめ

国際政治のタイトロープの上で踊る通訳者の歴史 - Anna Aslanyan『Dancing on Ropes』

Dancing on Ropes: Translators and the Balance of History (English Edition)

 

新潮社「Foresight」での連載「未翻訳本から読む世界」、更新されています。

通訳者は国際政治の綱の上で踊る:植田かもめ | 未翻訳本から読む世界 | 新潮社 Foresight(フォーサイト) | 会員制国際情報サイト

 

ジャーナリストでありフリーランスの翻訳家・通訳者でもあるアンナ・アスラニアンが古今東西の通訳者を紹介する"Dancing on Ropes"を紹介しています。

 

通訳者は中立で無色透明な存在と思われるかもしれないけれど、ヒリヒリするような利害対立が存在する国際政治交渉の場では決して「中立」でなんかいられない、という話をしています。

 

と言いつつ、今週ちょうどロシアによるウクライナ侵攻が始まって、なんだか牧歌的な内容の本にも思えてきました。冷戦時代にフルシチョフがロシアのことわざを多用したために通訳はどうニュアンスを伝えるか苦労した、みたいなエピソードを紹介しているのですが、プーチンの冷徹なアナウンスメントには、誤訳の余地も無さそうです。

 

なお、オスマン帝国の公式通訳であった「ドラゴマン」と呼ばれた人々の歴史も紹介しています。半分通訳、半分外交官であった彼らはオスマン帝国とヨーロッパの間の橋渡しをしていましが、オスマン帝国という「アラブ世界」が、トルコ共和国という「ヨーロッパ」にアイデンティティを変えていく歴史に飲み込まれながら奔走します。幕末を舞台にした大河ドラマみたいな物語で面白かったです。

 

 

あなたにYouTubeを何時間も見させるだけの技術なんてクソなのでは? - AI2041

AI 2041: Ten Visions for Our Future

 

新潮社「Foresight」での連載「未翻訳本から読む世界」、更新されています。

 

グーグル中国法人の代表でもあったリー・カイフーがSF作家チェン・チウファンとタッグを組んだ新著『AI2041』を紹介しています。半分SF小説、半分評論という異色の一冊です。

 

この記事ではスピンオフ話をします。一時期(2~3年前)に比べると、AIを話題にする本は減っているという印象があるのですが、いかがでしょうか。

 

これには理由があって、実はディープ・ラーニングと呼ばれる現在主流のAI技術は既に飽和状態にあるからだと思います。理論的な研究は一段落していて、後はそれを人間がどう使うかという競争にフェーズが移っているのです。リー・カイフーはこれを前著『AI世界秩序』で、「AI開発が『発見』の時代から『実装』(implementation)の時代に入った」と表現しました。

 

で、いまビジネスの現場で起こりがちな課題は何かというと、「AIを使うのは当たり前になったけれど、大した成果を挙げられていない」という課題だと思うのです。

 

本書が挙げる例を引用すると、我々の好みを分析してYouTubeを何時間も見させたり、広告をできるだけ多くクリックさせるためにAI技術は活用されています。金額ベースで換算すると、AIの使い途として最も成功しているのはこうした用途かもしれません。

 

本書の問題意識を要約すると「せっかくAIという凄い技術があるのに、そんなショボい用途が最大の成功例のままでいいのか?」という問題意識だと思います。ギリシア神話に登場するタロスや中国古代の民話に登場する偃師(えんし)など、自律して動くロボットまたは人形は古来から存在する人類の夢です。その夢の技術が手に入ったのに、GAFAを肥え太らせるだけでよいのだろうか、とリー・カイフーは訴えているのではないかと思います。

 

もちろん現代でも創薬分野での利用などAIの用途は広がっていますが、より視野を広げよう、と提唱するのが本書だと思います。さて、2041年のAIの使い途はどのようになっているのでしょうか。

*Yahooでの記事単品売り

*前著をレビューしたときの記事

 

2021年のオススメ本まとめ

How to Avoid a Climate Disaster: The Solutions We Have and the Breakthroughs We Need (English Edition)

 

新潮社「Foresight」での連載「未翻訳本から読む世界」、更新されています。

*Yahooでの記事単品売り

 

今回は特別編として、2021年に日本語版が発売された注目本と、今後の翻訳が期待される本をまとめて紹介しました。

 

5000字以上使って、関連書籍の言及まで含めると約20冊の紹介をぶちこんでいます。ブックリストの爆弾、またはぎゅうぎゅう焼きです。

 

村井さんちのぎゅうぎゅう焼き おいしい簡単オーブン料理 (シュシュアリスブックス)

 

手前みそですが、未翻訳の本を日本語で一気にまとめてこんなに紹介しているお腹いっぱいな記事は他に無いと思います(・・と言いたいところですが、yomoyomoさんが毎年公開している『邦訳の刊行が期待される洋書を紹介しまくることにする』などがあります。)

 

今年を振り返ると、約3年に渡って連載を続けさせてもらったタトル・モリエイジェンシーさんの「翻訳書ときどき洋書」が定期更新終了になり、夏から新たに新潮社さんの「Foresight」で連載が開始になりました。縁に感謝です。

 

*「翻訳書ときどき洋書」の過去連載は今でも無料で読めます

*新潮社「Foresight」は有料メディアですが、連載初回は無料で公開されています。2021年12月に日本語版も出たダニエル・カーネマン他の「NOISE」を紹介した回です

 

寄稿連載ではほとんどの回でノンフィクションを紹介していて、個人的にもフィクションを読む量が年々減りつつあるのですが、前の記事で紹介したチャン・リュジンの『仕事の喜びと哀しみ』とか、アガサ・クリスティーの『春にして君を離れ』とかは良かったです。マンガだと和山やま『夢中さ、きみに』とか池辺葵『ブランチライン』とかを好きになりました。『チ。地球の運動について』も相変わらず面白いです。あと、そのうち記事にするかもですがサッカーマンガの『アオアシ』を完全にキャリアとビジネスについてのマンガという観点で読んでいます。

 

また、再編集アンソロジーが出たのをきっかけに向田邦子のエッセイを読み直して感動しました。

mobile.twitter.com

 

2021年のベスト本

改めて今年の1冊を選ぶなら、連載に詳しく書きましたがビル・ゲイツの『地球の未来のため僕が決断したこと 気候大災害は防げる』(原題はHow to Avoid a Climate Disaster)です。とにかく近年の欧米の社会経済ノンフィクションは何のテーマであっても何かしら気候変動について言及するのがデフォルトになっているという印象なのですが、入門編の一冊として最適です。なんだかふわっとした日本語タイトルにだまされてはいけません。

 

次点は、ウォルター・アイザックソンがCRISPRの生みの親ジェニファー・ダウドナの半生を描きつつパンデミックとmRNAワクチンの仕組みも解説してくれる傑作ノンフィクション『The Code Breaker』と、もう一冊、ユニリーバの元CEOポール・ポルマンによる『Net Positive』です。「サステナビリティとみんな言うけれど、差し引きゼロ(ネット・ゼロ)なだけじゃビジネスとしてホントにサステナブルではないから、成長をあきらめないネット・ポジティブを目指すべき」と語る一冊です。

 

毎年思っていますが、本って多いです。読書は手軽に自己満足感を得られる手段ですが、クリティカルマスを超えるとその自己満足を誰かが「教養」と呼んでくれたりするのかもしれません。来年も新しくて面白い本を紹介したいと思います。

 

過去の年間まとめ記事バックナンバー

 

働くのってBitterでSweet - 『仕事の喜びと哀しみ』by チャン・リュジン

仕事の喜びと哀しみ K-BOOK PASS

 

韓国の作家チャン・リュジンの短編小説集『仕事の喜びと哀しみ』が好きだ。

以下、一部ネタバレあり

 

表題作では、スタートアップ企業に勤務する女性が主人公である。そこでは英語名のファーストネームで互いを呼び合う事が推奨されている。CEOはデービッド、エースのプログラマーはケビン、そして主人公はアンナ。

 

けれども、そこはカリフォルニアではない。舞台はシリコンバレーではなく板橋(パンギョ)テクノバレーだ。ファーストネームで呼び合っていても「デービッドからご要請のありました・・」「アンドリューがお話しになった・・」と、敬語と気遣いをしなければならない。これがいかにも日本を含む東アジアの文化という感じで、バカバカしいリアリズムに笑ってしまう。

 

仕事の日常を描く作品が多いこの小説集には、こういう「そこ、切り取るか」と笑ってしまうようなディテールが数多く登場する。社内の高度な人材を公募しようとしているアグレッシブなプロジェクトに新入社員が志願をして、それを全社宛アドレスに送ってしまうとか、大して仲良くない同僚への手書き結婚メッセージのスペースをどう埋めるか苦労するとか、小洒落たオフィスエリアのカフェでアイスアメリカーノを頼もうとしたら値段がホットの倍以上の値段で、店員に「イタリアでは本来コーヒーはホットでしか飲まないんですよ」と諭されたりとか。

 

ただし、単に半径数メートルの日常を描くだけの小説ではない。訳者あとがきで、韓国で行き詰まった状況が打開されたときの爽快感をサイダーに例える事にならって本書を「サイダーのような」短編集と呼んでいる。

 

爽快感とは一体何だろう。表題作に、紆余曲折あって給料を全てポイントで受け取る事になった人物が登場して「でも実際、お金がなんだって話じゃない?お金だって結局はこの世界の、私たちが生きていくシステムのポイントってことでしょ」と語る。

 

登場人物は何らかの組織に所属してそこでのしがらみや社会が強制する無言のルールに制約を受けているけれど、そうした固定観念から自由になる瞬間が描かれていて、それが体がふわっと浮き上がるような爽快感の正体だと思う。夢見ていたキャリアに挫折して年齢を重ねていく女性が、むかし訪れたフィンランドでつかの間交流した老人を思い出す「タンペレ空港」という作品が特に素晴らしい。

 

抜群に優秀なスーパーマンのような人を除いて(またはそういうスーパーマンのような人にとっても)、仕事というのは理想と現実との妥協点探しの連続であり、苦くて甘い毎日の積み重ねだろう。この小説が描いているのは、キャリアにおける「自己実現」ではなくて「自己受容」であり、社会に自分の意見を通す「成功」の物語ではなく、組織と自分との間に折り合いをつける「適応」の物語だ。

 

チャン・リュジン『仕事の喜びと哀しみ』は2021年5月に日本語版が発売された一冊。平凡な人を面白く描けるのって非凡な小説家だと思う。

 

www.cuon.jp

SDGsは17個も目標があるけれど実質はただ1つ - Net Positive

Net Positive: How Courageous Companies Thrive by Giving More Than They Take

 

新潮社「Foresight」での連載「未翻訳本から読む世界」、第4回が更新されました。

 

ユニリーバ社の元CEO(最高経営責任者)であり、SDGsに関する国連の活動にも数多く携わっているポール・ポルマンの著作「Net Positive」を紹介しています。

 

ニュースなどで聞かない日は無いとも言える「SDGs」。国連はその内訳を示すフレームワークとして17の目標を掲げています(よく見るカラフルなやつ)。

 

一見すると多様な目標のように見えますが、本書をヒントに考えると、その本質は「ただ乗りを許さない」という点に集約されるのではないかと思います。つまり、誰かを犠牲にして企業が自身の利益だけを最大化する事を許容しない。「誰か」には気候変動の影響を受ける将来世代も含まれれば、不公平な扱いを受ける労働者や特定のジェンダーの人間も含まれます。

 

この「企業活動の外側で誰かが影響を受けること」を「外部性」(Externality)と呼びます。概念自体は昔からあって、例えば工場の排出物を原因として公害が起こって不利益が発生する事を「外部不経済」と呼びます。

 

で、本書はこの「外部性」を「資本主義の"原罪"」と呼びます。株主利益だけを追求して企業価値を高めようとすると、外部の誰かに悪影響を与えてしまう。過去数十年に渡って欧米を中心に先鋭化した「株主資本主義」(新自由主義、と言い換えてもいいかもしれません)は、この外部性の問題を解決できないとポルマンは考えます。

 

ではどうすればよいのか。そのヒントとして本書が提唱するのが「ネット・ポジティブ」という視点です。「カーボン・ニュートラル」「CO2排出実質ゼロ」といった言葉に代表されるように、サステナブルと言うとプラスマイナスの影響を差し引きゼロにするというイメージを抱く事が多いかもしれません。でもそれでは企業は成長を諦めなければならない。そうではなく、外部のステイクホルダーへの影響も含めて、企業活動の社会への影響を差し引きプラス(=ネット・ポジティブ)にしようという考え方です。

 

その詳細は・・・記事でどうぞ。

 

*連載へのリンク

*Yahoo配信で記事の単品売りもしているようです

 

 

メタバースより「俺バース」 - ジェニー・オデル、注意経済、折坂悠太

何もしない

How to Do Nothing: Resisting the Attention Economy (English Edition)

 

ジェニー・オデルの「何もしない」(How to to nothing)を読んだ。余暇を含めた全ての時間を換金可能な経済資源として差し出す事に慣れてしまった社会を批判する本だ。カリフォルニア在住のアーティストであるオデルは、荘子や古代ギリシャのエピクロス派の哲学から自らのバードウオッチングの体験までを参照して、現代において「何もしない」でいることの難しさと重要性を説く。

 

サブタイトルの「アテンション・エコノミーへの抵抗」(Resigting the attention economy)が本書のテーマを端的に表現している。アテンション・エコノミー、注意経済とは、SNSやアプリのユーザー数や滞在時間など、人間が何かに向ける注意がそのまま経済的な価値として測定されて換金される経済を指す。

 

注意経済の歴史と本質はティム・ウーの"The Attention Merchants"という本が詳述している。2016年に紹介したこの本、名著だと思うのだけど日本語訳が結局出ていないままだ。ポイントをかいつまんで言うと、新聞やテレビからTik Tokに至るまで、注意経済のビジネスとは「何らかの刺激と引き換えに、人々の注目(アテンション)を集めて、それをスポンサーに売る」商売である。

 

注目を集めるための刺激は、感動でもいいし、恐怖や不安でもいい。トランプ大統領が選ばれた頃、「マーク・ザッカーバーグは私のデータを売ってビリオネアになり、私に残ったのはクソ大統領だけ」と書かれたTシャツを作っている人がいた。

 

さて、Facebookが「SNS企業からメタバース企業」への変革を目指し、社名を変更する予定と報じられている。

 

メタバースはバズワードになっていて、技術的な可能性や課題が語られているけれど、オデルの本を読んだ後、メタバースを「どんな世界にしたいか」の方が、技術的な観点よりもずっと重要なのではないかと思った。

 

というか、より具体的に言うと、注目を集めてそれを広告主に売るアテンション・エコノミーの世界が、VRやARの世界に拡張されるだけだったら、ディストピアだしジョークだしクソだ。

 

新Facebookがどんなビジョンを出すのか分からないけれど、「メタバースの中であなたのアバターが取った行動を分析して、最適なオススメ商品を表示して楽しい買い物ができるようになります」みたいな世界観をもし出すなら、ビジネスモデルは何も変わってなくて、ツールがモバイルからVRやARに変わるだけだと思う。それだったら、ただ単にVRのバーチャル会議ルーム機能を法人アカウントに課金して提供したり(要するにZoomのVR版)、VRやARの技術基盤を開発してそれをB2Bで様々な業種に売る方が(遠隔医療とか、工場の遠隔モニタリングとか)、フツウだけど邪悪(evil)ではないビジネス、だと思う。

 

・・で、思いっきり話は飛ぶのだけど、折坂悠太の新アルバム『心理』がすばらしくて、何度も何度も聴いている。

 

コロナ禍を背景とした上のインタビューで、折坂悠太は「命が大事なのは感情に訴えかけて伝えることじゃなくて、むしろ真顔で言わなきゃいけない。音楽でうやむやにせず、言うべきことはあるというか……音楽の出番はもっと他にあるという感じがする」と発言している。この品位というか節度(decency)がとても好きだ。

 

勝手な解釈でむりやり話をつなげるのだけど、政治家だろうがビジネスパーソンだろうがアーティストだろうが、何を発言しても注意経済の通貨として流通してしまう。そんな中で唯一の守るべき領域が個人の『心理』の世界なのではないだろうか。ジェニー・オデルは、「何もしない」ことで、「世界との失われたコンテクストを回復」して、「自立共生=コンヴィヴィアリティ/conviviality」を目指そう、と語る。難解な言い方に聞こえるけれど、これも要するに、自分のアテンションを誰かに安売りするのをやめて、自分の心の世界を守ろう、と言っているのではないかと思う。メタバースもいいけれど、その前に「俺バース」や「私バース」(Me-verse)を構築すべきなのだ。

 

何するつもりでいたんだろう

今 動かずただ ここにいるよ

叫ぶことば 僕らに似合わず

互いに見合って ここにいるよ

(炎)

*「何もしない」でいる事のアンセムみたいな歌で大好きだ

 

 

問題を大きくしないと話をきいてくれない人たちがいるから気をつけろ - What We Owe Each Other

What We Owe Each Other: A New Social Contract (English Edition)

 

新潮社「Foresight」での連載「未翻訳本から読む世界」、第3回が更新されました。

 

ロンドン・スクール・オブ・エコノミクスの学長でもある経済学者ミノーシュ・シャフィクの"What We Owe Each Other"を紹介しています。所得格差の拡大やSDGsも踏まえた「新しい社会契約」を説く本です。

 

で、ここからはスピンオフ話。

 

シャフィクは本書の中で「数十年に及ぶ交渉から得た経験」として、「問題を大きくした方が、解決が簡単になる場合がある」と語っています。

 

詳細は記事の中に書きましたが、この意見、めっちゃわかるわ〜と思いました。

 

通常、問題というのは小さい方が解決しやすいです。社会全体とか、企業全体にかかわる大きな問題よりも、身近な問題の方が解決しやすいはず。

 

でも実は、世の中には「問題を大きくしないと話を聞いてくれない人たち」が存在します。また、「問題が小さいと目先の利益にこだわり過ぎてしまう人たち」というのも存在します。

 

シャフィクは世銀などで働いていたキャリアですが、おそらく、政治家とかに話を持っていこうとするときに、アジェンダを大きくして「これは重要な問題です」とアピールしないと、「そんな小さな問題は議論しない」と突っぱねられてしまう事があったのではないかと推測します。

 

そしてこれはビジネスの世界でも当てはまる話だと思うのです。経営者とか上のランクの人たちと話をしたいときに、小さなアジェンダだけ持っていくと「それは現場で解決できる話でしょ」と言われてしまいがちなのですが、アジェンダを大きくして持っていくと、とりあえず時間を作ってもらえたりします。わざとアジェンダを大きくしてエラい人と話すきっかけを作って、それから具体的な課題の解決に誘導する。そういうやり口を個人的にも見たり(やったり)した事があります。

 

また別の観点ですが、「人は問題が小さいと目先の利益にこだわり過ぎてしまう」という傾向があります。そういう場合、むしろ問題を大きくするとより広い視野に立って解決に動き出せる。シャフィクは「新しい技術を習得する機会を得られず引退を考えている高齢者は、自分の子どもの世代は生涯にわたる再教育を享受できると分かれば、教育への公的支出が優先されることを受け入れられるかもしれない」といった例を挙げています。

 

最近、岸田首相が「成長」と「分配」を語り、金融所得課税をやるのかやらないのかといった議論がされていますが、この「分配」というテーマも、もっと大きな問題に設定すればいいのに、と思います。金持ちに課税するかどうかや貧困層に給付するかどうかといった「誰から誰に」分配するかの問題になると、みんな自分のお金は守りたいので、利害の対立を生みます。でも、医療費や教育にどれだけのお金を回すか、気候変動対策にどれだけお金を回すかといった「何から何に」分配するかの問題に設定すれば、生産的で議論も前に進みやすいのではないかと思います。分配は、人の単位でなく、アジェンダの単位で考えた方がよい、という事です。ちなみに、シャフィクも本書の中で、富裕層に課税をして貧困層に所得を移転する単純な富の再配分を「ロビンフッド機能」と呼んで、劣後して議論すべきテーマとしています。

 

*こんな事を考えるヒントになる本を紹介している連載です。ぜひご覧ください。