未翻訳ブックレビュー

世界の本への窓 by 植田かもめ

現代の恋愛に欠けているのは情報 - Cat Person by Kristen Roupenian

 

 「するんじゃなかったセックス」を描いた小説"Cat Person"を紹介する。ネタバレあり。

 

目次

 

小説なのにバズる

20歳の女子大生マーゴは、バイト先の映画館で34歳のロバートと出会う。テキストのやりとりを重ね、マーゴはロバートに惹かれて2人で会うことにする・・

 

2017年の12月にNewYorker誌のページに全文掲載されたこの短編小説"Cat Person"は、ツイッターでトレンド入りするほど議論を巻き起こした。Web上の短編小説がバズるなんてめったにない。

 

これには本作が発表されたタイミングも関係している。いわゆる#MeToo運動、女性に対するセクハラを告発する動きが広がっている時期に本作は発表された。望まないセックスに対する女性の無力さを的確に表現しているという文脈で語られ、さらに、後悔と自己嫌悪を引き起こすセックス(bad sex)という、語られないけど誰にでもある(hidden but universal)タイプの体験を描いたものとして本作は評価された。

 

一方で主人公マーゴへの批判も多い。彼女は男の部屋に「行ってもいい?」と自ら言って、翌日からは連絡があっても無視する。「なんてビッチなんだ!」という不快感を誘う。

 

著者のKristen Roupenian(クリステン・ルーペニアン)は36歳の女性でこれがデビュー作なのだけど、彼女の本を2冊出版する契約が7桁の金額(日本円で1億円以上)で合意されたと報じられている。破格の待遇だ。"Cat Person"は実体験をベースに書かれていると思うのでこの人にネタが他にあるのかは謎。アメリカって才能への投資額が文字通り桁違いで、才能に賭けるタイミングも早い。

 

で、主人公の行動や人格の是非は別として(余談だけど、小説などのフィクション作品を語るときに、登場人物の行動を許せるとか許せないとか評価する、さらにはその登場人物を書いた作者を許せるとか許せないとか評価するのって、何の意味もないと思う。だって創作なんだから。登場人物がどんなに悪い行動を取ってもその人物は小説上にしか存在しないし、作者がその行動に賛意を示しているとも限らない)この小説が面白いのは、セックスや恋愛における自己欺瞞と情報不足を描いているからだと思う。

 

人は自分をだまし関係を維持する

大抵の人は、自分と他人との関係をできれば壊したくない。だから、いちど仲良くなった人に対しては、多少悪い面が見えても「何かの間違いのはず」と思おうとする。または「自分の感じかたの方がおかしいのかも」と思ったりする。多少自分をだましてでも関係を維持する方向で振る舞う。

 

でもそれが良くない結果につながる場合もある。同列に扱っていいかわからないけど、たとえばセクハラを受けたとき、すぐに反対の声を挙げられる人もいるが、「何かの間違いのはず」と思おうとして黙る人もいる。悪い人間はそこにつけこむ。

 

本作の主人公マーゴは、年が離れて腹の出たロバートがホントはどんな人間なのかよくわからないまま、ふらふらと自分をだましながら彼と会う。

 

現代の恋愛に欠けているのは情報

作者のルーペニアンはインタビューで、ロバートに関する情報を意図的に少なくして曖昧なままにしたと語っている。この感覚って、オンラインでの出会いなど現代の恋愛の特徴を表現しているのではないだろうか。

 

つまり、現代の恋愛は情報過多なようで実は情報不足なのだ。職業、年収、学歴、趣味、SNS上の友人の数。親しくなる前から、数多くのデータが手に入る。でも、その人が本当に信頼できる人なのか、重要な情報は不足している。もしかして私を殺すつもりだったらどうしよう、本作の中でマーゴはそう思いながらロバートの車に乗る。心配しないで、君を殺したりしないから、とロバートは気持ちを察して冗談を言う。

 

猫好き(cat person)ならいい人

そして、情報不足は自己欺瞞を助長する。この小説が描いているのは、少ない情報をover-readして都合よく解釈したり逆ギレしたりする女性であり男性の姿だ。あの人は知的な映画が好きに違いない、こういうタトゥーがあるからこういう人に違いない、猫好き(cat person)ならいい人に違いない・・

 

でも、そうやって自分をだましていると、何かのきっかけで急に限界が来る。本作にも出てくる場面だけど、恋愛において相手が急に態度を変えたときに「自分のあの行動が問題だったのではないか」と考えて悩む人は多いはず。でも、本当は自分の行動には何の問題もなくて、単に相手が「自分で自分をだます」ことの臨界点がきただけかもしれないのだ。

 

本作では、最悪のタイミングでマーゴは自分をだませなくなる。そして、後悔に満ちた"bad sex"を経験する。

 

メールをクラフトする

その後の本作はとっても嫌な展開(ほめている)を見せる。全く気持ちがさめている女性と、執着を続ける男性。このあたりの描写は笑えるものだったので、最後にちょっと訳してみる。男から来るテキストにどう返信しようか悩む場面である。

 

彼女はメッセージを下書きし始めた—"楽しい時間をありがとう、でも、今は付き合うつもりはないの"

She began drafting a message—Thank you for the nice time but I’m not interested in a relationship right now

 

—けれどそれはやめて、言葉を濁して謝り続けることで、彼がかいくぐろうとしている抜け道を彼女はふさごうとした。(”OK。僕も付き合うつもりはないよ、もっとカジュアルな関係でいいよ!”)こうしてメッセージはどんどん長くなり、全然送れなくなった。

—but she kept hedging and apologizing, attempting to close loopholes that she imagined him trying to slip through (“It’s O.K., I’m not interested in a relationship either, something casual is fine! ”), so that the message got longer and longer and even more impossible to send.

 

そうこうしている間も、テキストは着信し続ける。重要なことは何も書いてなくて、どの新着メッセージも前のものよりマジなやつだった。

Meanwhile, his texts kept arriving, none of them saying anything of consequence, each one more earnest than the last.

 

彼女は想像した。マットレスだけのベッドに彼が横たわり、ひとつひとつのメッセージを注意深く組み立てているところを。

She imagined him lying on his bed that was just a mattress, carefully crafting each one.

 

彼は猫についてたくさんしゃべっていた。でも、家では猫を見かけなかった。もしかしたら作り話だったのかもしれない。

She remembered that he’d talked a lot about his cats and yet she hadn’t seen any cats in the house, and she wondered if he’d made them up.

 

メッセージを「書く」ことに「craft/組み立てる」という動詞を使っていて笑った。

 

熟練の職人が指先に全神経を集中して精巧な機械を組み立てるみたいに、または、政治家や弁護士が一言一句にこだわって法案や契約書を作り上げる*1みたいに、細心の注意を払ってケータイでメッセージを書く。そんな経験がある人、けっこういるんじゃないだろうか。

 

クリステン・ルーペニアン著"Cat Person"は2017年12月に発表された一作。繰り返すけどWeb上で全文が読める。彼女の最初の短編集"You Know You Want This"は、来年2019年の2月に発売予定で、アマゾンに書影が既にある。

You Know You Want This: Cat Person and Other Stories

You Know You Want This: Cat Person and Other Stories

 

 

関連本・ソース紹介

個人的には、現代の恋愛社会学本といえば、「マスター・オブ・ゼロ」で今やゴールデングローブ賞コメディアンになったアジズ・アンサリ*2 の著書Modern Romance。以下の過去記事で紹介したので是非この記事とあわせてご覧いただきたい。全然modernじゃない邦題をつけられた日本語版「当世出会い事情」もある。

 

 

また、後悔を伴うセックスという、語られないけど誰にでもある(hidden but universal)タイプの体験という文脈では、昨年紹介した、元グーグルのデータサイエンティストによる著書"Everybody Lies"がある。

 

 

人はセックスに関して従来型の社会調査にはウソをつくけど、検索キーワードには教会の窓で懺悔するように本音を全て入れる、というデータを説明する本。2017年のベスト本のひとつ。#MeToo運動って、それまで隠してきた体験を誰もがweb上で共有できるようになったという点が背景にあると思う。だから、権利運動というよりは情報公開運動という印象を受ける。

 

その他、著者インタビューなどこの記事のソースは以下の通り。めんどくさいので記事本文の該当箇所にひもづけていない。ごめんなさい。

Kristen Roupenian on the Self-Deceptions of Dating | The New Yorker 

Cat Person: The short story people are talking about - BBC News

‘Cat Person’ Author, Kristen Roupenian, Gets 7-Figure Book Deal - The New York Times

Cat Person is familiar to women who feel powerless to stop a sexual encounter | Matilda Dixon-Smith | Opinion | The Guardian

“Bad Sex,” Or The Sex We Don’t Want But Have Anyway – Ella Dawson

*1:法案や契約書を巧妙に作成することをcraft a bill / craft a contractと表現する用例がある

*2:この記事書いているときに彼に性的強要の疑惑が出た。マジすか。

Aziz Ansari responds to allegations of sexual misconduct - The Verge