未翻訳ブックレビュー

世界の本への窓 by 植田かもめ

エリートにもYouTuberにもならなくてよい成功モデル - “Dark Horse” by トッド・ローズ & オギー・オーガス

Dark Horse 「好きなことだけで生きる人」が成功する時代 (三笠書房 電子書籍)

 

いい大学やいい企業に入るだけで幸せにはならない。そんな事は、ほとんどの親と子どもがとっくに理解している。

 

けれども、「個性が大事」「好きなことで、生きていく」といったキャッチコピーも安直には信じられない。結局、どうすればいいのだろうか。

 

・・そんなもやもやした気分を抱いている人がいたら、本書をぜひおすすめしたい。ハーバード教育大学院で個性学(science of individuality)を研究しているトッド・ローズによる本書『Dark Horse』(2021年に日本語版発売)は、新しい成功モデルを理論化する一冊だ。

 

ダークホースとは、標準的なルートではない経歴をたどって型破りな成功を収めた人を指す。彼らの共通点は、個人的な充足感(fulfillment)を追求しているうちに、結果的に成功に至った点にある。成功を追求して充足感を得るのではなく、充足感を追い求めているうちにいつの間にか個人軸の成功(personalized success)に到達するのだ。

 

ただし、これは誤解を受けやすい考え方でもあると思う。強調しておきたいのだが、本書は、生存者バイアスまる出しの「成功者」が、「社畜をやめてフリーランスになろう」といった類の主張をする本ではない。自己啓発的な本とはニュアンスが大きく異なり、再現可能で汎用性のある成功モデルを模索する一冊である。

「大きな情熱」よりも「小さなモチベーション」

本書は、受験偏重に代表される能力主義(meritocracy)の教育を「標準化モデル」と呼んで「ダークホース」のモデルと対比させる。

 

この標準化モデルは、明らかに多くの人にとってストレスで、成長するにつれて学習のモチベーションを減衰させている。本書が参照するギャラップ社の2016年の調査によれば、米国の生徒の学校意欲のピークは、幼稚園と小学校の時代だ。中学、高校と進むにつれて学習に意欲を感じる生徒の割合は減少する。この傾向は卒業して就職しても変わらず、被雇用者の67パーセントが仕事に意欲を感じていない(同じくギャラップ社の2017年データより)。

 

一方で、同じく本書が参照している「成功に対する見方」についての意識調査では、回答者の圧倒的多数が「成功を個人的に定義するとしたら、幸福感と達成感が何よりも重要だ」と回答している。ミスマッチは明らかだ。個人軸の成功を収める人生への欲求は高まる一方なのに、それに対して科学的な研究が追いついていないのが現状である、とローズは語る。

 

フロイトもアドラーもユングも、誰にでも当てはまって意欲を高める「普遍的なモチベーション」「大きな情熱」を見出そうとした。しかし、そんなものは存在しないと本書は述べる。かわりに本書がダークホースたちのルールとして挙げるのは、極めて個人的で細分化された「小さなモチベーション」(micro-motive)である。

 

この「小さなモチベーション」とは、「稼ぐのが好き」や「人の役に立つ事が好き」といった粗い粒度の好みではない。もっと厳密で、もっときめ細かく特定化された(偏った)好みや興味である。本書に登場する人物の例だと「物体を真っすぐに並べることが好き」といったレベルのものだ。この人物は技師として光ファイバー・ケーブルの伝送インターフェースの配列を設計した後、様々な紆余曲折を経て(決してまっすぐなキャリアではない)、家具と室内装飾の修理業のフランチャイズ店を全くの未経験からオープンする。

競争も戦略もリスクも大事だが一般的な意味ではない

ただし、本書は「好きなことにずっと打ち込んでいればいつか成功できる」と説いたり、リスクを無視した無謀な賭けに出る事を推奨するわけではない。

 

充足感を得るためには、リスクの考慮が必要で、競争戦略も必要だ。けれども、一般的な意味のリスクや「最適な戦略」は無視してよい。本書の用語を使うならば、重要なのは「確率」よりも「フィット」率だ。

 

どういう事か。標準化システムにおいては、リスクとは「成功の確率」だ。これは統計上の概念で、平均的な人間がある一定の状況で成功する可能性を示すものである。しかし、ダークホース的な考え方では、リスクの見積方法が異なる。リスクは、自分の幸福感やモチベーションとの「フィット」によって決まる。

 

例えば一般的に見て高い地位や収入を得られる確率が高いポジションがあっても、それが自分のモチベーションにフィットしないならば、それはハイリスクな選択肢だ。フィットで感じた小さな違和感は、いずれ充足感の追求と成功において非常に大きな違和感に繋がる可能性があるからである。

 

同様に、野球選手が自分に合ったフォームを見つけるように、競争戦略も自分にフィットするものを発見する事が重要だ。一方で、競争における「強み」は外的な要因との比較で形成されるファジーなものである。従って、自分の強みは、内省を通してではなく、行動を通して見定めなければならない。ダークホース的な考え方では、戦略を選ぶ事は、どのように試行錯誤するかという問題なのだ。

 

「ナンバーワンにならなくてもいい」けれども、私たちは決して「もともと特別なオンリーワン」ではない。自分にフィットする戦略と強み、そして何よりも自分にとっての充足感と成功の定義を、教師に、上司に、そして市場に、試行錯誤を通じて認めさせなければならない。

「個性が大事」なのに評価基準はひとつ、という罠

さて、ダークホースたちが何の分野でどのぐらい成功するのかは、定義上、事前に予測できない。本書はこれを「人生の目的地に到達するには、目的地を探してはいけない」と逆説的に表現する。

 

別の言い方をすると、ダークホース的な能力とは、例えば学力といった価値指標が既に決まっているゲームの中でハイスコアを取る能力ではなく、新しい価値指標を見つけたり、新しいゲームを生み出す能力と言えるかもしれない。

 

で、ここからは個人的な意見になるが、そうした新しい能力を測定して評価する制度や方法って、今はまだ追い付いていないが、今後どんどん確立されていくのではないだろうか。

 

これは例えば「学校の成績だけでなく内申点も評価する」といった単純なレベルの話ではなく、教育でも、企業や従業員の評価でも、もっと何重にもバラバラに評価の基準が多元化されるのではないかという話だ。

 

本書を読んで抱いた仮説であるが、例えばYouTuberやTikTokerなどを成功者のモデルにする事になんとなく違和感を感じるのは、多様な個性が花開いているように見えて、実際は再生数と広告収益という単一の価値指標で超過当競争をしているだけに見えるからかもしれない。(しかもごくわずかなプレイヤーと胴元のプラットフォーマーが利益のほとんどを持って行って行くというモデル)

 

同様に、国の教育制度が「個性が大事」と標榜するのに違和感を感じるのも、入口でどれだけ個性が大事と謳っても、結局最終的な評価ゲームが受験の一発勝負と新卒一括採用しか存在しないままだと、「招かれる者は多いが、選ばれる者は少ない(マタイ福音書22:14)」状態が変わらないからかもしれない。

 

こう書くと「でも、ホントに個性を評価する制度なんて大規模に構築する事は難しい。だから最大公約数的な評価を行う標準化システムがあるんだよ」という事も聞こえてきそうだが、雑で乱暴な楽観をしておくと、それも変わるのではないかと思う。

 

なぜならば、テクノロジーと経済の長期的なトレンドとして、私たちが「個性を測定して分析するコスト」は明らかに下がっているからだ。

 

個性という言い方が曖昧ならば、単に「個体差」と言い換えてもいい。お気に入り商品の好みから遺伝子治療まで、私たちの個体の違いを分析して評価する技術はより高精度でより安価に実装できるようになりつつある。それが例えば個人の充足感の測定に使われたり、その測定を基にした教育効果の評価制度に応用される日も来るのではないだろうか。

 

余談だが、『データの見えざる手』で知られる矢野和男の近著である『予測不能の時代』は、「幸福」を主要なテーマとしている。他にもAIやデータサイエンス系の本で、従来であれば内面や主観、つまりは「個性」とされていた領域を定量化して扱うものは増えてきていて、ダークホースモデルの研究とも実はシンクロしている動きなのではないかと思う。