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前置き:「私の」本
世間的な評価のよしあしとは別に「これは私の本だ」と言いたくなるような本がある。
ドストエフスキーは世界最高に素晴らしい、でも、自分からは遠い。より身近で、愛着を持てるのはこっち。そんな具合だ。
本の話でピンとこなかったら男女に抱く感情でたとえると伝わるだろうか。上の文のドストエフスキーを誰でもいいから人気の女優やモデル、たとえばミランダ・カーに置き換えていただきたい。ミランダ・カーは世界最高に素晴らしい、でも、自分からは遠い。より身近で、愛着を持てるのはこっち(の人)。そんな具合だ。*1
2016年の4月に日本語版が刊行された、イスラエルの作家エトガル・ケレットの自伝的エッセイ集「あの素晴らしき七年」(The Seven Good Years)という本がある。
これは私の本だ、と言いたい。良いか悪いかは判断できないけどとにかく好き、という恋に似た盲目さで私はこの本が好きだ。
イスラエルの作家というだけで縁遠く感じる人もいるかもしれないが、本書に収められた36の小編群の主題は家族であり、本書の中心には笑いがある。
彼の過去作の短編小説集も超面白いけれど、クセがあるので誰にでもすすめられる本ではなかった。一方で、息子の誕生からホロコーストを生き延びた父の死までの七年間を綴ったこのエッセイ集はとても読みやすい。都会で玄人好みの料亭をやっていた板前が田舎に帰って開いた定食屋みたいに、誰でも入れる。または、小難しい音楽をやってカルト的な人気だったアーティストが作ったポップでメロディアスな作品のようでもある。日本を含めて20か国で本書は出版されている。
個人的には池井戸潤より売れようが全く売れなかろうが好きなのに変わりはないけれど、できればひとりでも多くの方に読んでいただきたい。なのでこうしてペチペチ記事を書いている。
とはいえ、ただ好き好き言っていても伝わらないだろう。そんなわけで(前置きが長くなったが)本書に寄せられた架空の賛辞集というものを作ってみた。
よく、本の帯や前書きにいろんな人からの賛辞が並ぶと思う。
あれをひとりで書いた。
まず先に、本書に寄せられた本当の賛辞を見てみよう。新潮社のページで全部読めるが、ここでは実際の本の帯に載っているものを抜粋する。
エトガル・ケレット「あの素晴らしき七年」
ー本書に寄せられた本当の賛辞
私の知るどの作家ともまったく違う、素晴らしい書き手である。
ーサルマン・ラシュディ
ただただ面白くて、時々大笑いして、そして、泣いてしまった。
ー西加奈子
エトガル・ケレットは天才である。
ーThe New York Times
彼がわずか二ページでやってのけることには仰天させられる。滑稽さから奇妙さへ、そして感動へ、風刺へ、物語論へ、驚異へ、シュルレアリスムへ。深遠で悲劇的で痛切な物語をわずかな言葉で紡ぐ「名人」である。
ーThe Los Angeles Times
この本は読者をケレットの体験した七年間へと連れて行き、鋭く共感に溢れた洞察を通じて、世界の美しさ、狂気、逃れ得ない奇妙さを見せてくれるのだ。表立って政治的な本ではないが、暴力にかたどられ、生と死の間で書かれた作品だ。
ーNational Public Radio
続いて、架空の、というか要するにこのブログ作の賛辞を紹介する。
こちらには字数制限がないので長めに書いている。どれも、本物の賛辞と同じく最後に「ーサルマン・ラシュディ」「ーThe New York Times」みたいに推薦者や推薦媒体の名前を補って読んでいただけるとそれっぽく聞こえてくるんじゃないかと思う。脳内補完の温かいご協力をお願いしたい。
ではどうぞ。
エトガル・ケレット「あの素晴らしき七年」
ー本書に寄せられた架空の賛辞
手のかかる乳児の我が子をジャンキー/サイコパス呼ばわりするケレット。
タクシー運転手に我が家のトイレを貸して妻から叱られるケレット。
ダブルブッキングされた飛行機の座席でタトゥーヒゲ男に「失せろ」と言われて涙声で乗務員に自分の権利を訴えるケレット。
そして、ホロコーストを生き延びた父の最期に寄り添うケレット。
ここにいるのは、私たちと同じように日常にあくせくする、親であり子である一人の男だ。
ただし、文章を書かせたら私たちの誰よりも上手い。
もしあなたが自分を嫌いなら、ケレットの自虐に苦笑するだろう。
もしあなたが他人を嫌いなら、ケレットの悪態に喝采するだろう。
いずれにせよ、あなたはこの本を読んだあと、きっと人間をもっと好きになっている。
「素晴らしき七年」とは聖書の創世記に登場するファラオの夢解きに由来する。豊穣な七年間の蓄えがあれば、その後に続く飢饉の七年にも耐えられるというエピソードだ。息子が生まれてから父を喪うまでのケレットの七年を描いた本書は、イスラエルの恐るべき子どもと呼ばれてきたこの作家が成熟という秋を迎えた収穫祭である。これだけ豊穣な笑いと涙の蓄えがあれば、困難な七年がもし来ても生き延びられるだろう。苦くて甘い一粒の麦、ご賞味あれ。
フランツ・カフカよりも不条理で、カート・ヴォネガットよりもばかばかしくて、レイモンド・カーヴァーよりも残酷。*2
本書のことではない。本書でケレットが描写し、我々が属している、この世界の現実のことだ。
ユダヤのことわざに「石鹸は体を洗うため、涙は魂を洗うため」とある。でもこれには別バージョンがある。「石鹸は体を洗うため、'笑い'は魂を洗うため」ということわざだ。エトガル・ケレットの作品には、どちらもあてはまる。
以下の題材を使って、中東の政治の深刻さと滑稽さを表現せよ。ただし、それぞれ5ページ以内とする。
- アングリーバードで子どもが遊んでいる
- 幼稚園の給食調理員から子どもがこっそりチョコレートをもらった
・・・もしそんな課題のエッセイ講座があったとしたら、クリアできるのは本書のエトガル・ケレットだけだろう。
ある章でケレットは言う。
「結局、ぼくらイスラエル人だってほかのどこの国民とも同じで道徳的曖昧さを解決するのはうまくない。でも、僕らは常に戦争とのつきあい方を知っていたんだ。」
別の章で妻は彼に言う。
「あなたの両親は、派手で普通じゃない状況で出会って、そして二人の人生はお祭りみたいになったわ。」
「あたしたちの人生もやっぱり出会った時に暗示されてるわ。あたしたちの実際の人生があって、あなたはいつもそれをもっとおもしろい何かに作り直す。」
戦争の警報と生活の哄笑。ふたつの騒がしさが奇妙に合唱する人生の断章。
どんな池上彰やBBCにも解説できない「イスラエルで生きるとはどういうことか」の記録。
以上、タイトルにちなんで7パターン作ってみた。
できるだけ、命令調(「必読!」)や直情型(「絶対笑える!絶対泣ける!」)や紋切型(「新進気鋭の作家による待望の作品!」)の言いっぷりを避けた。結果、なんか逆にうさんくさくなった気もする。
ともかく、この本はホントに素晴らしい。
「絶対笑えて絶対泣ける、新進気鋭の作家による待望の作品なので、必読!」である。
では。
追記
「あの素晴らしき七年」の訳者の秋元孝文さんがこのブログを紹介してくださいました!