「日の名残り」めちゃ笑えるからみんな読んで
本人は笑わせるつもりゼロ、でも他人が見ると妙に可笑しい、そんな人って誰のまわりにもけっこういるのではないか。
ノーベル文学賞受賞を機に、長らく積ん読にしていたカズオ・イシグロ「日の名残り」を読んだら、笑えて感動する傑作だった。
目次
上品で静謐、なだけの作品ではない
歴史ある邸館。品格ある執事。美しい田園風景への旅。過去の淡い恋心。古き良き英国への憧憬。「日の名残り」を積ん読にしていたのは、同作のそういうイメージが格調高くてなんかめんどくさそうだったから。
でも実際に読んだら印象が変わった。
これは、上司が急にアメリカ人に変わってそれまで10人とか20人とかで回してた仕事を「これからは4人でやって」と頼まれて狼狽する話だから、外資に買われた企業の人とかみんな読んでほしい。
さらに、旅先のド田舎で「なんか一流の人が来たぞ」と騒がれて「えっ、チャーチルに会った事あるの?あのセレブに?」みたいに絡まれて辟易する話なので、皮肉な笑いが好きな人みんな読んで。
そして、自分が信じてきたモノの価値が揺らいだときにどうするかについての話なので、変化が激しい社会での人生に不安を抱える人、つまり現代人ほぼみんな、読んでみてほしい。
抑制されたユーモア
もう少し、本作のユーモアを野暮だけど解説してみる。カズオ・イシグロの他の作品もそうなのかもしれないが(ちなみに管理人は他に「わたしを離さないで」だけ既読)、そこには抑制/decencyの美学がある。
登場人物が読者を笑わせにかかるわけではない。主人公の執事スティーブンスは高潔な職業倫理と厳格な行動規範を持った一流の英国紳士だ。
・・でも、そんな人、実際にそばにいたら笑ってしまうのではないだろうか。ここに本作のユーモアがある。いちいち過剰なのだ。彼は旅先で良い待遇を受ければ「フォードと、私の上等のスーツに影響されてのことに違いありますまい」と語る。車とスーツで貧乏人は扱いを変えるよ、という紳士哲学の開陳!また、邸宅の新しい主人が「アメリカ的ジョーク」を頻繁にぶっこんでくれば、それに応じないのは「職務怠慢」と考えて、ラジオ番組でユーモアを勉強し「一日に最低一回は」ジョークの練習をする。さすがホンモノの紳士!
特に好きなのは本書後半の田舎町でのエピソード。地元で名士とされる医師と語らうスティーブンス。話題は、本書中で何度もスティーブンスが口にする「品格」(ちなみに原書では"dignity")とは何かについて・・
そして陽気な笑顔を私に向けながら、「あなたはどうなんです?」と尋ねてきました。
「何でございますか、先生?」
「いや、あなたはどう思うんです。品格とは何だと?」
あまりにも唐突な質問に、いささか慌てたことを認めねばなりません。「これは、なかなか簡単には説明しがたい問題でございますが」と私は答えました。「結局のところ、公衆の面前で衣服を脱ぎ捨てないことに帰着するのではないかと存じます」
「すみません、何がですか?」
「品格が、でございます」
「なるほど」医師はそう言ってうなずきましたが、何のことかよくわからないといった顔つきでした。やがて「ほら、この道路は見覚えがあるでしょう。明るい中で見ると、ちょっと感じが違うかもしれないが(以下略)
この場面、読んでて吹いた。でも、どういう場面なのか見落とされてしまいそうなシーンでもある。おそらく、本書の前半の「ジョークを学んでいる」という描写がネタフリになっていて、品格とは公衆の面前でうんぬんという上の発言は、品格とは何か大喜利へのスティーブンスのフルスイングのジョーク回答なのだ。それを、ちょっと何言ってるかわからないです、と庶民にスルーされてしまう悲哀。これぞ大英帝国の落日。違うけど。
つまり、カズオ・イシグロの抑制の美学とはツッコミ不在ということである。「スルーかよ」と分かりやすくツッコんで笑い所を教えてくれる人は作中にいない。それは読者の役割だ。そしてそれは、我々が日常で行っている笑いのマナーでもある。本人は笑わせる気がゼロなのに言動や行動がどう見ても可笑しい人、そういう人を、直接笑うのではなく、笑い話に加工して第三者に語る。それが愛と慈しみと意地悪さを持った大人の節度ある(decentな)マナー。
品格という自己欺瞞
さて、もちろん本作はただのユーモア小説ではない。ネタバレになるので詳細は書かないが、スティーブンスによる過去の回想の形式で進むこの小説では、彼が人生を賭して仕えた屋敷と主人の権威が揺らぐ。
すると、品格を厳格に求めるスティーブンスの語りが、違う文脈で聞こえてくる。彼は人生の大義を否定しないために、自分に暗示をかけるように職業倫理を語っているのではないか。一流の執事としての「一貫したブレない信念」といった"品格"が、「自分が身を捧げたものを今さら間違いだったと思うわけにはいかない」という"自己欺瞞"にも読めてしまう。これも本作の魅力のひとつで、一人称の語り故に読者が自由に解釈できる。
はたして、スティーブンスは「それでも人生にイエスと言う」のだろうか。彼の短い旅はやがて終わる・・
スモールワールドとビッグワールド
最後に、カズオ・イシグロの本作の魅力のひとつに、個人の過去と、社会や国家の過去とがリンクする面白さがある。
この点、彼はノーベル財団による公式インタビューで次のように語っている。
"One of the things interested me always is how we live in small world and big world at the same time. We have a personal arena in which we have to try and find fulfillment and love."
「いつも興味を持っていたのは、小さな世界と大きな世界をどうやって同時に生きるかです。我々は、満たされて愛を見つけるためのパーソナルアリーナ(個人の領域)を持っています。」
"But that inevitably intersects with larger world, where politics, or even dystopian universes prevail. We live in small world and big world at the same time and we can't forget one or the other."
「けれどその小さな世界は、より大きな世界と不可避的に交わります。そこは、政治や、ディストピアのようでさえある宇宙が支配している世界です。我々は小さな世界と大きな世界を同時に生きていて、どちらかを忘れることはできません。」
小さな世界と大きな世界に折り合いをつけるための小説。ノーベル文学賞ってとっつきにくそう、と思った人も、執事と主人の設定のコントだと思って、気楽に読んでみていただきたい。
個人的には、ヘミングウェイ「老人と海」、ブッツァーティ「タタール人の砂漠」そしてカズオ・イシグロ「日の名残り」を、世界3大「人生こんなはずじゃなかった」黄昏小説としたい。
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