未翻訳ブックレビュー

世界の本への窓 by 植田かもめ

現実ばかりがリアルじゃない - 4321 by Paul Auster あと、騎士団長殺し by 村上春樹

4 3 2 1: A Novel

Paul Auster - 4 3 2 1: A Novel

 

20世紀最初の日、東欧からひとりの移民が大西洋を渡った。ニューヨークのエリス島で入国の受付を待つ間、ロシア人の仲間が話しかけてくる。ここでは名前を変えた方がいい、アメリカでの新しい人生のために、新しい名前を名乗れ、ロックフェラーというのがいいぞ。

 

"Your name?"入国管理官に名前を訊かれた彼は焦る。さっき聞いた名前は何だったろう。苛立ったまま、彼はイディッシュ語で"Ikh hob fargessen!"I've forgotten/忘れちまった)と答えた。こうして、"Ichabod Ferguson"(イカバー・ファーガソン)という新しい名前で彼のアメリカでの人生が始まった。2017年1月に発売されたポール・オースター7年振りの長編小説'4321'の最初のエピソードである。

 

この記事では、ポール・オースターと親交もある村上春樹が2017年2月に同じく7年振りに発表した長編小説「騎士団長殺し」も絡めて同書を紹介する。どちらについても、小説内で何が起こるかのネタバレはほとんど無いけれど、小説の構成、そして、何が説かれているかには言及する。予断を持ちたくない方は読まない方がいいかも。

 

ちなみに、上記の最初のエピソードをポール・オースター本人が朗読している動画がweb上で公開されている。

 

ではどうぞ。

目次:

アーチー・ファーガソンのバージョン違いの4つの人生

物理版で900ページ近くある'4321'は、アーチー・ファーガソンという同じ名前で同じDNAを持つ4人の人生を描く4つの世界の物語だ。

 

東欧からの貧しい移民(冒頭で紹介したキャラクター)の孫として1947年3月3日という同じ誕生日に同じ両親の元で生まれた4人のファーガソンたちは、それぞれ異なる人生を生きる。小説の各章には1.1、1.2、1.3、1.4、2.1、2.2・・・と連番が振られていて、x.1がファーガソン1の人生、x.2がファーガソン2の人生という構成になっている。

 

彼らは別々の生い立ちで育ち、違う女性と恋をして、異なる職業に就き、それぞれの決断を下す。こうした構成への自己言及も何ヶ所か登場する。

Yes, anything was possible, and just because things happened in one way didn't mean they couldn't happen in another. Everything could be different.

そう、何だって起こり得たのだ、物事がひとつのやり方で起こったからといって、別の道がなかったとは限らない。全ては別の可能性があるのだ。

 

そして、各ファーガソンの人生は野球や公民権運動といったアメリカ文化史も交えてディテールまでとても細かく描写されている(好きになった女性に9ページの手紙を書き、1週間後に今度は2ページの手紙を書き、そのまた1ヶ月後にポストカードを送ったファーガソン1くんの若き日の恋愛に乾杯!)。それは「別の世界ではこうだったかもしれない」という別バージョンの自分についての物語である。

 


cero / Orphans【OFFICIAL MUSIC VIDEO】

別の世界では 2人はきょうだいだったのかもね
別の世界がもし 砂漠に閉ざされていても大丈夫
あぁ 神様の気まぐれなその御手にすくい上げられて
あぁ わたしたちは ここに いるのだろう

(Cero - Orphans)

*Ceroってなんとなくポール・オースターっぽい

 

ただし、この小説の構成は、同じ曲を4テイク聞かないと次の曲に進まない音楽アルバムみたいなものなので、正直言って段々と読むのに疲れてくる。ひとつひとつの文章もとてもとても長い。目次に戻ってみると最後の章が「7.4」とあり7 x 4 = 28個の章立てがあるので、これが全体の分量だなと見積もって読み進めていたのだが、その分量計算は間違っていた。詳しくは書かないけれど、人間の人生は当然ながら同じ長さではないのだ。

 

さて、この小説は一体何なんだろう。 選択によってシナリオが変わるゲームみたいなもの?それとも、並行宇宙の理論では物理的に有り得る話?

 

個人的な意見だけど、この小説の構成は人間が現実をどう認識しているかを反映している。以前の記事↓で紹介した"The Undoing Project"という本にあるD・カーネマンとA・トヴェルスキーの理論が参考になると思う。

 

現実ばかりがリアルじゃない

わざわざリンク先に飛ぶのもめんどうだろうからこの記事でも紹介する。カーネマンとトヴェルスキーは、事実をなかったことにしようとする(Undoing)人間の感情を研究していた。たとえば同じように渋滞に巻き込まれてフライト予定時刻に30分遅刻した2人がいたとする。でも、予定した便が定刻通り出発したと言われる場合と、予定した便は定刻から遅れてちょうど5分前に出発したと言われる場合とで、フラストレーションの強さは変わる。「30分遅刻して飛行機に乗れなかった」という事実は同じはずなのに。

 

起こらなかった出来事が起こった事実に近いほど、人間の後悔の感情は強くなり、事実をなかったことにしようとする。後悔などの感情をカーネマンは「反事実感情」と呼び、トヴェルスキーは人間の現実理解を次のように表現した。

 

Reality is a cloud of possibility, not a point.
リアリティとは点でない。可能性の雲である。

 

現実ばかりがリアルじゃなくて、「起こらなかった事」も人間のリアリティを構成する。アーチー・ファーガソンの4つの人生は直接交わらない。でも、お互いの人生は、起こり得た可能性としてそれぞれの人生に作用している。

 

・・と書いてもまだわかりにくい気がするので、村上春樹の新作「騎士団長殺し」とも比較してみたい。

 

起こった事と起こらなかった事

「あるいは・・・かもしれない」
「ひとつの仮説として・・」
「目に見えないものと同じくらい、目に見えるものが好きだ」
「この世界には確かなことなんてなにひとつないかもしれない」
「・・はほんとうにいたんだよ」

 

村上春樹の同作は、過去作と同様に「起こり得た可能性」についての言及だらけだ。もっと乱暴に言ってしまうと、村上春樹の長編小説はどれも「起こった事と起こらなかった事の間でどう折り合いをつけるか」がテーマだと思う。登場人物がしょっちゅう失踪するのも、誰かがいる場合/いない場合という可能性の対比だし、歴史によく言及するのも「起こり得た可能性」についての表現だ。

 

村上春樹の作品の登場人物たちは「起こった事」よりも「起こらなかった事」に影響されまくる。ある者はそれで精神が崩壊し(それを「喪失」と呼んだりする)、ある者はセックスや暴力の果てに両者にバランスを見出して日常に復帰する(それを「再生」と呼んだりする)

 

「騎士団長殺し」も過去作とほぼ同じテーマで、ポール・オースター'4321'にも通じるものがある。でも、両作の着地のさせ方はけっこう違う。

 

***

もう一回ご注意。以下、両作の登場人物が何を説くかについての引用あり

***

 

幻とのつきあい方

着地が違う、というのは、「起こらなかった事」にどう向き合って、後悔などの「反事実感情」にどう折り合いをつけるかのスタンスが違うという意味だ。

 

「騎士団長殺し」の主人公は「信じる力」が大事なのだと説く。何を信じる力か、というのをはっきり書かないのが村上春樹の巧さでありズルさだと思うのだが、要するに自分が信じたいものを信じろというスタンスだと思う。可能性の雲である現実の中から、自分が信じたい点をピックアップして信じろ。そうすれば生きられる。信仰の対象は、神でもいいし、身近な人でもいいし、セロニアス・モンクを聴きながらのトマトソース作りでもいい。女優業を引退して宗教家になるのも自由だ。

 

一方で、ポール・オースター'4321'のアーチー・ファーガソンは、信じる力が大事だとは説かない。起こらなかった出来事をディテールまで想像して、今ある現実と同じように扱うことが大事だと説く。

 

God was nowhere, he said to himself, but life was everywhere, and death was everywhere, and the living and the dead were joined.

神はどこにもいない、彼は言いきかせた。けれども、生はどこにでもある。死だってどこにでもある。そして、生者と死者は結びついているのだ。

 

どちらがしっくりくるか、というのは好みの問題だと思う。でも、個人的には「信じる力が大事」と言われるよりも「今ある現実が無数の可能性のひとつに過ぎないと受け入れよ」と言われる方が納得できる。

 

理由は、そういう考えをした方が人間は失敗が恐くなくなると思うからだ。

 

人生や現実が信じるべきひとつのものでしかないなら、それが裏切られたときの失敗や痛みは耐えがたい。でも、無数の可能性のなかのひとつに過ぎないならば、受け入れてまた別の可能性に目を向けることができるのではないだろうか。

 

無数のパターンを取り得る不安定な'ガラスの街'で、起こり得た出来事という'幽霊たち'におびえながら、自我という'鍵のかかった部屋'を抱える人間にとっては、そっちの方が賢明な態度ではないかと思う。*1

 

How to Live With a Phantom

How to Live With a Phantom

 

幻を扱う 仕事には気をつけよう

時に幻は姿を見せる

夢や幻と向き合う 時には覚悟を決めなよ

時に幻は君を飲み込む

(坂本慎太郎 - 幻とのつきあい方)

 

ポール・オースター'4321'は2017年1月に発売された一冊。日本語版の発売予定は不明。原書を読みたい方は、全体も個別の文章もめっちゃ長いので、以下ページで読める最初のパートになじめるかをまず確認した方がよいと思われる・・

4 3 2 1 | Paul Auster | Macmillan

 

4 3 2 1: A Novel

4 3 2 1: A Novel

 

 

騎士団長殺し :第1部 顕れるイデア編

騎士団長殺し :第1部 顕れるイデア編

 

 

騎士団長殺し :第2部 遷ろうメタファー編

騎士団長殺し :第2部 遷ろうメタファー編

 

 

*1:「ガラスの街」「幽霊たち」「鍵のかかった部屋」は「ニューヨーク3部作」と呼ばれるポール・オースターの初期作品群

The New York Trilogy (English Edition)

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ガラスの街 (新潮文庫)

ガラスの街 (新潮文庫)

 

 

幽霊たち (新潮文庫)

幽霊たち (新潮文庫)

 

 

鍵のかかった部屋 (白水Uブックス―海外小説の誘惑)

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