宇宙、エネルギー、ハードワーク - Elon Musk by Ashlee Vance
2015.07.30 初出
2015.09.23 日本語版発売につき更新(小噺追記)
Elon Musk: Tesla, SpaceX, and the Quest for a Fantastic Future
作者: Ashlee Vance
発売日: 2015/05/19
この先の数十年で何冊出るかわからないイーロン・マスクについての本のうち、最初の包括的な一冊。
ジャーナリストのAshlee Vanceが本人の協力を得て著した評伝"Elon Musk"は、そう呼べる本だ。
テスラ、スペースX、ソーラーシティの3つの会社を同時に経営し、2人の女性と計3度の離婚を経験し、双子と三つ子の計5人の子どもを育てる純資産100億ドル以上の男のローラーコースターライフを、目次の並びを見ているだけでも感じられる。
Contents(目次)
- Elon’s World(イーロンの世界)
- Africa(アフリカ)
- Canada(カナダ)
- Elon’s First Startup(最初の起業)
- PayPal Mafia Boss(ペイパルマフィアのボス)
- Mice in Space(宇宙のねずみ)
- All Electric(全てを電気で)
- Pain, Suffering, and Survival(痛み、苦しみ、生き延びる)
- Liftoff(離陸)
- The Revenge of the Electric Car(電気自動車の逆襲)
- The Unified Field Theory of Elon Musk(イーロン・マスクの万物理論)
“Humans need to become a multiplanetary species."
1971年に南アフリカのヨハネスブルグ近郊に生まれ、やがてカナダとアメリカの大学に渡ったイーロン・マスクは、1995年に最初の会社Zip2を発ち上げる。コンパックによる1999年の同社の買収で2,200万ドルの資産を手にした28歳は、PayPalの前身であるX.com社をすぐに起業する。eBayが2002年にPayPalを15億ドルで買収したときには、主要株主として莫大な資産をマスクは既に築いていた。
しかし、幼い頃にSF小説*1を愛読していた彼は、1億ドルを投じて「巨額の資金をわずかな資金に変える最速の方法」のひとつである宇宙開発事業に着手し、スペースX社を設立する。さらに、7,000万ドルで電気自動車のテスラを、1,000万ドルで太陽光発電のソーラーシティ社を設立する。
”A one-man, ultra-risk-taking venture capital shop”となったマスクが経営する各社のストーリーを通じて本書で網羅されるのは、起業から現在にいたるまでのアップダウン、経営上・技術上のチャレンジ、そして将来的な展望だ。テスラとソーラーシティは化石燃料に依存しないエネルギー社会を消費と生産の両面から目指しており、再利用可能なロケットの製造を進めるスペースX社は、2025年までに火星に人類を移住させることをミッションに掲げる。本書によれば、「人類を、多惑星間の生物(multiplanetary species)にすること」がマスクの究極の目標である。
“It’s Elon’s world, and the rest of us live in it."
そして、本書を読むと、マスクがオペレーションレベルにまで細かく介入する典型的なコントロールフリークでありワーカホリックタイプの経営者であることがよくわかる。
スペースX社のエンジニアによれば、目標を達成できない人間に対して、「君をプロジェクトから外して私がその仕事をやる。CEOをやりながら」と伝え、実際にその仕事を引き取ってこなしてしまうらしい。さらに、10年以上に渡り生活を捧げた秘書が昇進を要求した際、マスクは彼女に数週間の休暇を与え、「自分でその仕事をやってみてどのぐらい大変かを確かめる」と伝えたそうだ。彼女が休暇から戻ると、マスクは彼女を解雇した。最初の妻であるジャスティンは、「彼は自分のやりたい事を容赦なく実行する。そこはイーロンの世界で、他人はその世界の住人」と語っている。
なぜマスクはこうした働き方・生き方をするのか。ただの非情な人間なのだろうか。本書の著者はそうではないという見立てをする。マスクは自分のミッションの緊急性と重要性を一番理解している故に、プロジェクトの停滞や時間のロスを許容できないのではないか。あるセールスマンがマスクを訪ねたとき、まず関係を温めてから商談に入るべしという営業マナーを学んでいたその男は、「今日の目的は何か?」とマスクに訊かれて「関係を築くことです」と答えたらしい。飛行機で4時間かけてマスクに会いに行った彼は2分で帰らされたそうだ。
“Take it down to the physics."
さて、本書はビジネス書に分類されるのかもしれないが、あまりに常人離れしたマスクの評伝を通じて、普通のビジネスパーソンは何かを学んだりできるだろうか。
残念ながら、たとえばジョブスからプレゼン術を学んだり、松下幸之助から人生の心得を学んだりするようには、本書は使えないだろう。明日すぐ使えるTipsや人間関係を円滑にするコミュニケーション術といった類の教訓はイーロン・マスクからは得られない。
それよりも参考にすべきは、本書中に何度か登場する、「原理に落とし込む(Take it down to the physics.)」という彼の発想法だと思う。
2013年のTEDでのインタビューでも、幾つもの新事業を起ち上げる秘密が何かを尋ねられた彼は、「物事を根本的な原理にまで煮詰める、物理学のフレームワーク」が重要だと語っている。*2
イーロン・マスクが起業をしている産業は、成熟期にある業種が多い。レガシーが滞留している産業を、原理から考え直す。それが彼のやっている事なのかもしれない。金融や決済の本質がデータベースへのエントリーに過ぎないと煮詰めるとPayPalになる。内燃機関のエネルギー効率の悪さを考え直して自動車業界に挑んでいるのがテスラで、太陽という原子炉を効率的に利用できていない電力業界に参入したのがソーラーシティだ。政治的な事情に左右されてきた宇宙産業を純粋にプロダクトの質とコストで変えようとしているのがスペースXである。と、強引にまとめられるかもしれない。
そう考えると、「自動車やロケットといったアメリカが影響力を失いかけていた事業にreinvention(再発明)をもたらした」と言われるイーロン・マスクの事業は、reinventionというより、refinement(精錬/洗練/純化)と呼べるかもしれない。
電気自動車やロケット事業のビジネスとしての将来的な成功は不透明である。テスラが成長を持続できる保証はなく、スペースXはロケットの打ち上げで試行錯誤を繰り返している段階にある。
それでも、イーロン・マスクと彼のチームは、たとえ火星に人類を送り込む事であっても“difficult, if not impossible”と考えているのだろう。*3
アシュリー・バンス著「イーロン・マスク」はニューヨークタイムズベストセラーの一冊。米国では今年の5月に発売されたが、「イーロン・マスク 未来を創る男」というタイトルで日本語版が9月に出るみたいで、アマゾンで既に予約ができるようだ。これってかなり速い翻訳なのだろうか?
2015.09.23 追記
日本語版が発売されたようです。
イーロン・マスク絡みの小噺を二つ追記しときます。
1. お月さままでどれぐらい
マスクの幼少時代に関して「暗闇が単なる光の粒子の不在なのだと気付いてから暗いのをこわがらなくなった」というスゴいエピソードが本書に登場しますが、Bloombergが制作したドキュメンタリーでの母親の証言によると、おともだちと次のようなやり取りもしていたそうです。
ともだちの子:"Look at the moon! It's billion miles away!"(月を見て!何十億マイルもはなれているんだよ!)
イーロン少年:"No. It's actually under two hundred fifty thousand miles away."(いや。実際は250,000マイル以下だよ。)
イーロン母:"Oh, Elon!"(ああ、イーロン!)
※02:40〜あたりが該当部分
2. 同世代
本書日本語版の帯は堀江貴文氏が書いているようですが、1972年生まれの彼は一歳だけ年上のマスクについて2013年の大前研一との対談で次のように語ったりしています。
「(僕はロケット事業を進めるが)イーロン・マスクに負けないようにがんばりたい。まあ、彼は電気自動車もやってるからすごいですけどね。(略)僕も2005年に電気自動車をやろうと思っていたが先を越された。スポーツカーで高級路線で行くしかないと僕も思っていた。って今言ってもしょうがないんですけどね。」
※58:45〜あたりが該当部分
*1:子どもの頃の愛読書はD・アダムスの「銀河ヒッチハイクガイド」だったそうです。「生命、宇宙、そして万物についての究極の疑問の答え」でググると出てくるやつの元ネタです。
- 作者: ダグラス・アダムス,安原和見
- 出版社/メーカー: 河出書房新社
- 発売日: 2005/09/03
- メディア: 文庫
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*2:"Boys and girls, learn physics."
*3:“difficult, if not impossible”: 数千の衛星を使って地球上のあらゆる場所で高速インターネットを利用可能にするという最近の計画についての記事より引用。