もっといい人いるかも症候群 - Modern Romance by Aziz Ansari
2016/02/11 初出
2016/08/26 アジズ・アンサリ「当世出会い事情―スマホ時代の恋愛社会学」として日本語版発売
Aziz Ansari and Eric Klinenberg "Modern Romance"
2005年から2012年にアメリカで結婚したカップルのうち、3分の1はオンライン上で知り合っている。
インド系アメリカ人のコメディアンであるAziz Ansari(以下、アジズ)が社会学者のEric Klinenbergの協力を得て作成した本書"Modern Romance"は、インターネットの普及やスマホの登場が恋愛と結婚をどう変えたかについてのノンフィクションである。
"good enough marriage"から"soul mate marriage"へ
著者のアジズは医療系の仕事に従事するムスリムの両親のもとで育ち(本人は無宗教と語っている)、ニューヨーク大学をマーケティング専攻で卒業した後にスタンダップコメディアンになった異色の経歴を持つ。
たまたま知り合って仲良くなった女性にテキストメッセージを送っていたらある日を境にピタッと返信が来なくなった。そんな体験を機にアジズは考える。なんで俺はこんな数行のテキストのやり取りにイライラしているんだろう。昔の人はこんなフラストレーションを抱えていなかったんじゃないか。社会学者のEric Klinenbergとともに、昔と今の恋愛と結婚の事情を調査するフィールドワークのプロジェクトをアジズは開始する。
彼が祖父母の世代にインタビューしてみると(ある老人は戦時中の体験について聞かれると誤解していたら恋愛について尋ねられて面喰らったりする)、結婚相手は自分の近所に住んでいたと語る人間が多い。1930年代から40年代に行われた調査によると、結婚した人間の3分の1は自宅から5ブロック以内に住む人が相手だった。大抵の人間は、両親や近所の人がアレンジした相手と数度のデートをした後、だいたい満足(good enough)であれば結婚していた。
翻って若い世代にインタビューをすると、自分に合うright personを求めている。むかしのgood enoughはgood enoughでなくなり、多数の選択肢からかけがえのない相手を探す。そんな現代の結婚をアジズはsoul mate marriageと呼ぶ。晩婚化は日本だけの現象ではなく、1950年代に20-23歳だったアメリカの初婚年齢は27-29歳近くまで上がっている。
現代の出会いと別れの場
何がこの変化をもたらしたのだろう。経済状況の変化はもちろんあるが、インターネットの登場がもたらしたインパクトも大きい。アメリカ人の出会いのきっかけルートとして、1990年には40%近くを占めていた「友達の紹介」は2010年には20%台後半まで減少した。かわりに急激に上昇しているのがオンラインを通じての出会いで、1990年の数パーセントから、友達の紹介と肩を並べそうな20%台まで増加している。結婚相手に限らず恋愛相手を探す場としてOKcupidなどのウェブサイトがありTinderなどのスマホアプリも普及している*1。自分の身の回りにしか相手がいなかった時代に比べて選択肢が格段に増えた。
そして、単に出会いを探す場が増えただけでなく、モバイル機器の普及によって恋愛に関するコミュニケーション自体が変わった。アジズは実際にやりとりされた膨大なテキストメッセージを送ってもらって分析し、現代の恋愛では誰もがふたつの人格、real-world selfとphone selfを有していると語る。また、恋人に別れを伝える手段についての2014年の調査によると、直接会って話をした割合はわずか18%で、電話での連絡も15%に過ぎない。50%以上は、テキストやSNSやメールなどのデジタルメディアを通じて別れを告げる(ちなみにその人たちに「自分が別れを切り出される場合にデジタルメディアを通じて言われたらどう思うか」と聞くと、70%以上はいやだと答えたそうな)。
東京とブエノスアイレス
アメリカだけでなく、世界の恋愛と結婚の事情はどうなっているのだろう。アジズと彼のチームはどの国を調査するか議論する。選ばれた国のひとつは我らが日本だ。なんでも日本では、18-34歳の男性で61%、女性の49%に恋人がいないらしい。それどころか、そもそも性的なことに興味のない人間の割合が増えているという。出生率は224の国と地域の中で222位で、民間ではなく地方自治体が運営する出会いパーティーがあるらしい。なんてこった、このままじゃこの世から日本人がいなくなってラーメンもスシもハイエンドなジャパニーズ・ウイスキーも味わえなくなってしまう!アジズは実態を調査するため(あとウマいものをいっぱい食べるため)東京を訪れる。
ここでちょっと本書を離れて脱線。上記の「出生率は224の国と地域の中で222位」のソースは、CIAのサイトにある以下のWorld Factbookらしい。
CIA - The World Factbook - COUNTRY COMPARISON :: BIRTH RATE
この出生率(birthrate)は、人口1000人あたりの出生数を計算した指標で、15-49歳の女性が産む子どもの数を算出する合計特殊出生率(total fertility rate)とは異なる。少子化の指標としては合計特殊出生率の方がよく使われるが、出生率は年齢や性別を絞らないので、簡単に言えば、高齢化が進んでいると(またはもし男性の割合が多かったりすると)より値が低くなりやすい。1位のニジェールが45.45人、158位のアメリカが12.49人であるのに対し、222位の日本は7.93人となっている。で、日本より下位の2つがどこかと言うと、人口6千人のフランス領サンピエール島と人口4万人のモナコだ。要するに、実質日本が世界で最下位である。けっこう衝撃的なデータだなと思った。
閑話休題。東京を訪れたアジズは日本人社会学者の協力を得てニューヨークと同じようにインタビューを行う。草食系男子(herbivore man)や肉食系女子(carnivorous woman)といった言葉を学んだアジズが「バーとかに飲みに行って女性と出会ったりしないの?」と男性に尋ねると、知らない女性を誘うのは"charai"(sleazy, in a playboy way)という答えが返ってくる。一方で、まるで埋め合わせのように、modern-day geishasと遊べるクラブや、"The future of masterbation...is NOW."というスローガンを掲げるTengaなどのセックス産業が発展している。
日本と東京を紹介するこのパートは、日本人からすると特に目新しさはないトピックばかりだが、知らない人からすると間違いなく本書のハイライトの一つだろう。実際、同じように調査をした「愛の街」パリよりも東京の紹介に多くのページが割かれている。恋愛が減衰していて出生率は世界でほぼビリだけど性産業は発展しているなんて、改めて聞くとディストピア系SFに出てくる未来都市みたいだ。
そして、東京の文化的な対極にあると紹介されるのがブエノスアイレスである(ただの偶然だけど地理的にも地球の反対側にある)。Stop Street HarassmentというNPOの調査によると、彼の地の60パーセント以上の女性が男性から街中で強めに声をかけられて迷惑だった経験があると答えている。この調査に対して、「女性はいやがっているフリをしているだけさ。この世に女性の美しさより素晴らしいものなんてないだろ?それこそ男が生きている理由さ」と情熱あふれるサイテーな回答をしたのはブエノスアイレスの市長である。ブエノスアイレス、ノーシャイネス。
選択肢の多い恋愛は幸福なのか?
さて、昔よりも選択肢が増えた現代の恋愛は人間を幸福にしているのだろうか。アジズは「選択の科学」の著者であるコロンビア大学教授シーナ・アイエンガーとも会って考える。彼女の研究によれば、あまりにも選択肢が多すぎると、人はより優柔不断になり、一種のマヒ状態になってしまう場合があるという。たとえばランチを選ぶのだって大変なのに、パートナーの選択肢が多すぎたら何も選べなくなってしまうのではないか。
でも、とアジズは考える。選択肢が限られていたむかしの人たちだって不自由を感じていたのではないか。自分が求める「誰か」を見つけるのはかつてより複雑でストレスフルな作業になっているけれど、より満足できる相手にめぐりあう可能性だって増えているはずだ。テクノロジーが文化を変えるのなんて当たり前の話で、たとえば自動車や電話の登場は恋愛のあり方を大きく変えただろう。未来の人たちは「テレポーテーションがなかったなんて、むかしの恋愛は気楽だったんだなあ」と懐かしむかもしれない。だから、スマホの画面に映るテキストや写真に一喜一憂しながら、みんなモダン・ロマンスを楽しめばいい。
Aziz Ansari "Modern Romance"は、2015年6月に発売されニューヨークタイムスベストセラーにランクインした一冊。日本語版の発売予定は不明。*2
コメント:よい選択をするには?
さて、ここからは本書を読んで個人的に思ったこと。選択肢が多いときによい選択をするにはどうすればいいのだろうか。
本書に出てくるgood enough marriageとsoul mate marrigeという話を読んで、ゲルト・ギーゲレンツァーの「賢く決めるリスク思考」という本に出てくる、「満足化」と「最大化」という話を思い出した。
同書に出てくる例で簡単に説明すると、レストランで注文をするときにメニューを全てチェックしてどれを頼むか考えるやり方が「最大化」である。これに対して、メニューを全ては見ないで、はずれを引かなそうな選び方に従って何を注文するか決めてしまうのが「満足化」だ。同書では店員に「今晩、あなたならどれを食べますか」と尋ねるやり方を推奨している(「何がオススメか」と聞くよりこの方が効果的らしい)。
この満足化という戦略を使うと、「どれが最良の選択肢か」という問いが、「どんな状況でどのルールを使うのが最もうまくいくか」という真の問いに置き換わる。ある状況では上記のように店員に聞くのがいいかもしれないし、別の状況では一緒にテーブルに着いた食通の仲間に聞くのがいいかもしれない。満足化は最大化と異なり、選択肢ではなく選択の「基準」「ルール」に焦点をあてる。
私が以前転職活動をしていたとき、エージェントに「転職活動が短期間で終わる人と長くかかる人の違いは何か」と聞いてみたら、「何があれば決められるか最初からはっきりしている人は早い。そうでない人は、新しい求人が出てくるたびに『こっちの方が良いのでは』『もっといいのがあるのでは』と迷ってしまって長くかかる」と言われた。選択の難しさを決めるのは、必ずしも選択肢の多さではない。極端な話、たとえば「一番安く500kcal以上取れるモノが食べたい」と基準が明確な人がサイゼリヤに行ったら、もしメニューが辞書ぐらい分厚かったとしても注文するのはミラノ風ドリア一択だ(それが一番安い場合)。
選択肢よりも、選択の基準にフォーカスする。情報を集める前に、何があれば決定できるかを考えておく。これは、ビジネスから恋愛まで、情報の多い時代によい選択をするための基本的なアプローチである。
と、もっともらしいことをまず書いておいた上で、自分でそれをひっくり返すけれど、じゃあこの戦略が恋愛や結婚にも有効かというとそんなに簡単なわけがないだろう。
なぜなら、恋愛の場合はメニュー選びや仕事選びと異なり、感情とアイデンティティにかかわる選択になるからだ。
感情にかかわる選択では、事前に決めておいたはずの基準がいざ選択肢や可能性に直面するとグダグダになったりブレブレになったりすると思う。
また、アイデンティティに関わる決定では、反対に基準やルールを柔軟に変えられない事態が起こり得る。アイデンティティと言うと聞こえがよいが、要するにプライドと自己愛がジャマして簡単には理想を捨てられなくなる。特に、他人と簡単につながれる現代は昔より自己愛が増長しやすいんじゃないかと思う。ダイエットをしたくてもあちこちで簡単に美味しいものが買えてしまうように、SNSその他で簡単に自分の評価が得られる誘惑が多いのではないだろうか。SNS依存になったり反対にSNS疲れしたりするのは、自己愛の過食症であり拒食症かもしれない。飽食の時代になると「いかに食べるか」よりも「いかに食べすぎないか」が問題になるように、現代で幸福になるために必要なのは「いかに自分を愛するか」よりも「いかに自分を愛しすぎないか」のスキルなんじゃないかと思ったりする。
"I'm better than the rest, check out the way I dress and got a lot of money to spend俺は他のやつよりイケている 俺の着こなしとカネ使いをチェックしな... Needless to say I'm your greatest play,(中略)言わなくてもわかるだろ、俺はお前の最高の遊び相手ego tripping out, oh, ego tripping out, yeah, ego tripping out"自己陶酔、自分に酔ってる、エゴでトリップしてるんだ- Marvin Gaye "Ego Tripping Out"
老人ばっかじゃBaby、バスケットもロックも選手がいなくなって オリンピックにゃ出られない もう
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*1:ちなみに、個人情報流出で話題になった不倫サイトAshley Madisonのキャッチコピーは"Life is short. Have an affair."(人生は短い。不倫しよう)だったらしい。。
*2:「当世出会い事情――スマホ時代の恋愛社会学」として2016/8/26発売。うーん・・日本語のタイトルもうちょっとなんとかならなかったのか。カタカナで「モダン・ロマンス」で別によいと思うのだけど・・