未翻訳ブックレビュー

世界の本への窓 by 植田かもめ

もう少しだけ親切に - Wonder by R. J. Palacio

Wonder

Wonder
作者: R. J. Palacio
発売日: 2012/02/14

 

"I wish every day could be Halloween."

10歳の男の子オーガストは、クリスマスや他のどんな祝日よりハロウィーンが大好きだ。

 

スターウォーズ好きの彼は、映画に登場するキャラクターの仮装を毎年行っている。6歳のハロウィーンではオビ・ワン・ケノービ、7歳のときにはクローン・トルーパー、8歳のときにはダース・ベイダー、9歳のときにはBleeding Scream(「スクリーム」などに出てくるマスクのヤツ)の仮装をした。

 

オーガストがハロウィーンを好む理由、それは、仮装してマスクをしている間は自分の顔を見られなくてすむからだ。

 

先天的な遺伝疾患による顔の形態異常(craniofacial anomaly:頭蓋顔面異常)を抱えている彼にとって、その日だけは自分が他の子どもたちと同じだと思える日だった。オーガストは思う、毎日がハロウィーンで、いつもみんながマスクをつけていたらいいのに。

 

 "What’s the deal with your face?"

本書”Wonder"は2012年にUSで刊行された児童向けの本で、著者R. J. Palacioのデビュー作にあたる。障害を理由に10歳まで学校に行かなかったオーガストがはじめて学校に通って過ごした1年間を描いた物語で、いじめや差別といった重いテーマを扱っているが、語り口は明るくてユーモラスな記述も多い。

 

たとえば、オーガストをAuggie Doggieと呼ぶ父親は、妻から「コメディアンになれる」と言われるほど冗談ばかり言っていて、息子が通うことになった学校の校長先生がTushmanという珍しい名前だと知ると、まだ会ってもいない先生の名前を連呼して息子を笑わせる。オーガストは、ボバ・フェットとジャンゴ・フェットの区別がつかない大人に対して怒りを露わにしたりする。いや、普通の大人は区別つかないから。*1

 

さて、学校に通い始めたオーガストは、初日からいきなりショックを受ける。 

「顔、どうしたの?火事にでもあったの?」

クラスメートのジュリアンからいきなりそう言われたのだ。しかもジュリアンは事前に先生からオーガストの障害について説明を受けていたのに。また、学校に通い出してしばらく経った頃、たまたま自分に触った生徒が急いで手を洗いに向かうのを見て、オーガストは自分がどう扱われているかを知る。それでも、ジャックやサマーなど何人かの友達がいてくれるおかげで学校に通い続けていたが、ある事件が起こり、もう学校に行きたくないと思うほどのショックを受ける・・

 

そして、はじめ本書はオーガストの一人称で進行するが、途中から視点が次々と移り、姉のオリヴィア(家族からはViaと呼ばれる)や友人のジャックやサマーなど彼を取り巻く複数の人の視点でストーリーが展開する。

 

つまり、本書はオーガストの物語であると同時に周囲の人間の物語であり、教師の一人のブラウン先生が示す「親切であることを選びなさい」という教えを実践できるか、一人一人が試される。

 

それぞれが葛藤する姿の描写はオーガストに対するいじめと同じくらいリアルでキツい。ある者は、イケてる(fancyな)友達にオーガストを紹介することをためらってしまう。ある者は、本心ではオーガストと付き合う事を何とも思っていないのに、友人が喋った偏見に乗っかって自分もポロっと偏見を口にしてしまう。虚栄心や同調圧力に負けてしまう弱さと、そこからの成長が描かれている。*2

 

幾つかのエピソード(上級生とモメることで同学年の結束が強まるというスタンドバイミー的な展開もあり)を経て、視点はまたオーガストに戻る。ラストのエピソードは正直言って賛否が分かれると思う(というか、個人的には、アンフェアなエピソードだと感じた・・)。

 

"Kinder than is necessary."

さて、読み終えて思ったのだが、本書における一番の「仕掛け」は、オーガストの顔を読者は見ていない(小説なので見られない)という点にあるのかもしれない。

 

本書中で彼の顔について具体的な描写がされている箇所は幾つかあるが、イラストや(当然ながら)写真があるわけではないため、どんなに感情移入して想像したとしても実際の彼の顔は読者には分からない。ちなみに、表紙イラストの抽象度は絶妙だと思う。

 

これはどういうことか。二つあると思う。

 

一つは、読者は自分(または自分以外の誰か)が抱えるコンプレックスや弱みをオーガストの「顔」に代入できるということだ。オーガストの顔を自分の問題に置き換えれば、それが原因で受ける偏見や不当な扱いをリアルに感じられるし、状況次第でいつでも自分が差別をする側にもされる側にもなり得るということを感じられるのではないだろうか。

 

そしてもう一つ、こっちの方が重要だと思うのだが、読者は顔を見ないことで、オーガストの問題に責任を負わずにすんでいる(ややこしい言い方だけど。。)

 

そのものズバリ「顔」という概念を提唱したフランスの哲学者レヴィナスによると、人が他者に対して倫理的な責任を負うかどうかは、その人の「顔」を見たかどうかで決まるという。顔を見てしまったからには(その人に協力するか否かを問わず)その人と既にかかわっているが、顔を見なければ他者とのかかわりはない。*3

 

オーガストの顔を見ていない読者は、彼に対する倫理的な責任を負わない。本書を非現実的な美談として気楽に忘れることが許されている。

 

でも、もし本書を読んで、何かに責任を負いたいと感じたなら、顔が見えないオーガストではなく、本書の外側の現実世界に実際に存在している、顔を持った誰かに対して、「もう少しだけ親切に」(“Kinder than is necessary.” )振る舞えばいいのだと思う。

 

*R.J.パラシオ著「ワンダー」は全世界で既に300万部販売されていて、日本語版は7月に刊行されるらしい。

2015.07.18 追記: 日本語版が発売されたようです。 

ワンダー Wonder

ワンダー Wonder

 

 

 

*1:区別がつく大人は普通じゃない大人です。

http://i.stack.imgur.com/VXgpA.jpg

*2:コミュニティ内の同調圧力がいじめや暴力を生むというのはいろんな映画や音楽にも描かれている。ラッパーのケンドリック・ラマーはその名も”The Art of Peer Pressure”という曲の中で「仲間と一緒になるまで俺は暴力的じゃなかったのに(”That’s ironic ‘cause I’ve never been violent until I’m with the homies.”)」とラップしている。

www.youtube.com

*3:「哲学用語図鑑」(田中正人・斎藤哲也編)から読みかじりの知識。レヴィナスの「顔」という概念に関する誤認・誤用・矮小化などの責任は一切負いません。

哲学用語図鑑

哲学用語図鑑