A Sheltered Woman
作者: Yiyun Li
発売日: 2015/07/16
こんな作家がゴロゴロいるのなら、村上春樹ってまだまだノーベル文学賞を取ったりしないんじゃないか・・
イーユン・リーの「独りでいるより優しくて」という長編小説を今年読んだとき、そう思った。
ゴロゴロいるのかは知らないが、イーユン・リーは多数の受賞歴があるアメリカの若手作家のひとりだ。1972年に北京で生まれた彼女は大学時代に留学生として渡米し、現在では永住権を取得しカリフォルニアに住んでいる。
彼女はもともと生物学を専攻していたが創作へと専攻を変え、2005年に発表した「千年の祈り」という最初の短編集はフランク・オコナー国際短編賞の第1回受賞作となった(ちなみに第2回の受賞者は村上春樹。また、以前のエントリで紹介したミランダ・ジュライも同賞の受賞歴あり)。
私は上述の「独りでいるより優しくて」ではじめて彼女の作品を読んだ。簡潔で変なクセがなく抑制の効いた文章が緻密に積み重なっていくのを読んでいると、たとえば鉛筆だけで写真そっくりの絵が描かれるのを見るようなリアルさを感じた。
本作”A Sheltered Woman”は2015年12月現在での彼女の最新作にあたる短編だ。短編「集」ではなく単品で発売されている。
主人公であるAuntie Mei(アンティ・メイ=メイおばさん)という女性は、nanny(住み込みのベビーシッターのこと)を務めている。126の家庭で131人の赤ん坊を世話してきた彼女は、132番目の赤ん坊のシッターをする契約を結ぶ。
その家庭は裕福だが父親は外に愛人がいて家に居つかず、母親は育児にあまり興味がない。"Sheltered Woman"というのは作中に登場するある女性を指していて、アンティ・メイは自分が抱える孤独をその女性に重ね合わせる。
「孤独」というのは手垢にまみれまくったテーマだ。イーユン・リーの小説では、孤独というのは作中の通奏低音であり標準装備みたいなものでもある。
しかし、本作で描かれるアンティ・メイの孤独は、情緒的な気分としての寂しさや、自意識過剰の裏返しで他人を求める気持ちとは無縁だ。彼女の孤独には、意図もあれば戦略もある。彼女は物語を嫌悪する。
Paul sighed. 'If I tell you the story, you'll understand.'
「君にそのストーリーを伝えたらわかってくれるだろうな」とポールはため息をついた。
‘Please,’ Auntie Mei said.
「お願いだから」とアンティ・メイは答えた。
‘Don’t tell me any story.’
「私に何のストーリーも話さないで。」
Soon you’ll become a tiresome oldster like Paul, or a lonely woman like Chanel, telling stories to any available ear.
すぐにあなたはポールのような退屈な老人かシャネルのような孤独な女性になって、聞いてくれる耳があればストーリーを語るようになるのだろう。
"telling stories to any available ear"(聞いてくれる耳があればストーリーを語る)って、すげえ突き放した表現だ。アンティ・メイは言う。誰かを知ってしまうと、たとえその人が死んだとしてもその存在は自分の中に残り続ける。そして、誰かに自分を知られることは、その人に自分が捕らわれることだ。誰のストーリーの一部にもならず、自分を隔離することをアンティ・メイは想像する。
ふつうの人間は、自分のストーリーを他人にシェアしたりされたりしながら生きていく。シェアされたストーリーに対して、いいね!と言ったり、スルーしたり、あるいはそうかもしれないとか言ったりしながら生きていく。
本作のアンティ・メイはそれを拒否する。上述した「独りでいるより優しくて」という長編にも、孤児として過酷な環境で育ち「何ものにも壊されない人」となった人物が登場する。彼らは、こんなに酷い世の中を生きるには、自分を他人から隔離するのが合理的な戦略だと信じて行動する。
イーユン・リーの小説がスゴいというか恐いのは、こうした孤独な人物たちが単なる「心を閉ざした人」や「自分の境遇に酔っている人」には見えないことだ。例えば他人の評価を気にして人間関係に悩まされるような人間と、アンティ・メイのように誰ともストーリーを共有せずに生きる人間。閉ざされたシェルターの中で生きているのは、一体どちらなのだろう。そんなことを考えさせられる。
What a world you've been born into.
なんて世界にあなたは生まれてきたの
本作の中で、育児を放棄する親から預かった赤ん坊にアンティ・メイはそう語りかける。彼女が実践する孤独。そこには、戦地で疫病患者を強制隔離して治療を打ち切るような、無慈悲な決断と冷たいモラルがある。
イーユン・リー著”A Sheltered Woman”は、英国のサンデータイムスEFG短編小説賞を受賞した作品。日本語版の発売予定は不明。彼女の新作は出たら必ずチェックするようにしたい。