未翻訳ブックレビュー

Lost-In-Translation Book Review. 日本語版発売を待たずに本を紹介するページです

なんかもう当たり前みたいになってるけど、Facebookのデータと広告だけで人の行動を変えられるのすごくないか

 

この記事はケンブリッジ・アナリティカ事件への雑感。

 

上にリンクした英ガーディアンの記事と、昨年2017年に私的ベストに挙げた”Everybody Lies”(日本語版「誰もが嘘をついている」発売中)という本を材料にして考える。

 

言いたいことはタイトルの通り。この事件は、Facebookの責任を問う「個人情報不正取得」事件という側面で語られる。でも、その背景にある「行動操作」またはmind fuckの理論の方がもっとやばいんじゃないか、という話。

 

事件の概要は各ニュースでわかるので省く。簡単にいうと、トランプ陣営とスティーブ・バノンが2016年の大統領選時に契約していたデータ分析会社であるケンブリッジ・アナリティカ社(以下CA)が、Facebook(以下FB)のデータを5千万人規模で合意なく取得して、選挙広告に利用した、というもの。

 

ではどうぞ。

 

目次

好きな人が何に「いいね」しているかわかったからって、あなたに惚れさせられるだろうか

内部告発者である元CA社員のクリストファー・ワイリーによれば、CA社がFB上の「個人情報」を取得するために使用したのは性格診断アプリである。そして、回答結果や回答者の情報だけでなく、回答者の友人のFB上の活動履歴情報(何に「いいね」したかなどの情報)も合意なく取得して、彼らに選挙広告を打ったとされる。

 

まずこの時点で、マーケティングに詳しくない私なんかは、「FB上で何をしたかのデータとオンライン広告だけで人の投票行動を変えられるのってすごくないか」と思ってしまう。

 

ひとくくりに「個人情報の悪用」といっても、銀行のネット口座のパスワードを不正入手してお金を引き出すのと、FB上の活動情報を入手して活用するのとでは全く違う。

 

ウディ・アレンの「世界中がアイ・ラブ・ユー」というミュージカルコメディ映画の中で、アレンが思いを寄せるジュリア・ロバーツがたまたま彼の隣室にいる精神科医の診療に通っていたというシーンがある。アレンはカウンセリング内容を盗み聞きして、自分が彼女の趣味や不安を理解しているかのように言い寄って、恋仲になる。

 

さて、実際にそんなことできるだろうか。たとえば私がFB上の友人のことを好きだったとする。私はFB上の友人の行動履歴を(私に公開されている範囲で)知っている。だからCA社と同じレベルの個人情報を私は入手できているかもしれない。ではそれだけで、その人が自分に好意を持つようにできるだろうか。好きそうな映画やコンサートに誘うぐらいだったらできるかもしれないけれど、たかだか何に「いいね」しているかわかったぐらいで、人の心理や行動を変えられるだろうか。

 

つまり、人の心理や行動にどう影響を与えるかのノウハウがないと、データだけあっても意味がないのだ。

 

サイオペ(PSYOPS)する 

ケンブリッジ・アナリティカ事件の前提として第一にあるのは、この、人の心理や行動にどう影響を与えるかの研究だ。

 

ガーディアンの記事ではこのあたりの背景についても言及していて、それは「心理オペレーション」(psychological operation)と呼ばれる。クリストファー・ワイリーへのインタビューでは、インタビュアーが「サイオペする」(psyops)という言い回しをしていたりする。

 

 

心理オペレーションは軍事分野で特に研究されている理論のようだけど、ポイントは、あからさまな説得(persuasion)ではなく、情報の支配(information dominance)によって人間の判断に影響を与えること。人間の認知は目にした情報やストーリーに簡単に影響されるバイアスがあるから、これを利用する。


とはいえ、実はこれだけなら昔からあるプロパガンダの手法だ。選挙相手のネガティブ情報を流したり、詐欺師が信用できる人間に見せようと良い服を着たり、権威がある会社に見せようと社名に「ケンブリッジ」という単語を入れて「ケンブリッジ・アナリティカ」と名乗ったり。(それにしても、ドラマに出てくる架空の企業名みたいな、絶妙なうさんくささの社名だと思う)

 

問題は、ビッグデータやそれを活用したアルゴリズムによって、心理オペレーションの精度を向上させられることだと思う。そこには二つの変化が背景にある。ターゲットをピンポイントに特定できるようになったこと、そして、(心理学に関する)テストを簡単に実行して検証できるようになったという変化である。

 

ひとつめの、ターゲットのピンポイントな特定については、ガーディアンの記事が2015年時点の論文を紹介している。

 

 

これは、家族や親しい友人による評価よりも、「いいね」などのデータを基にしたアルゴリズムの方が人格診断の精度が高いという論文である。CA社が行った「マイクロターゲティング」と呼ばれる選挙広告もこの研究を基にしている。この分析モデルの詳細は以下の記事なんかを参考。

 

 

A/Bテストと規模の科学

もうひとつ、より重要だと思うのは、心理学に関するテストがweb上で簡単に実行できるようになったという変化だ。

 

元グーグルデータサイエンティストのセス・スティーブンズ・ダヴィドウィッツは、著書"Everybody Lies”の中で「社会科学はビッグデータでようやく真の科学になる」と語る。

 

誰もが嘘をついている ビッグデータ分析が暴く人間のヤバい本性

誰もが嘘をついている ビッグデータ分析が暴く人間のヤバい本性

 

 

詳細は上の過去記事参照だけど、簡単に言うと、web上でのA/Bテスト*1は、マーケティングだけでなく、心理学の研究にも広く応用可能だ。それは、従来は確認が難しかった仮説を、より短期間で、より大規模に検証することを可能にする。ダヴィドウィッツはこれを「規模の科学」と呼んで次のように語る。

 

こうした手法ー単純な方法をビッグデータに用いて短期間に数百回規模の分析を施すことーを、規模の科学と呼べるかもしれない。 

実際、心理学界全体がこのシリコンバレーのツールを用いて劇的に研究を改善している。数人の学部生を被験者にいくつかの実験をした研究論文の代わりに、1000人を対象に迅速なA/Bテストを施した結果の論文を、私は心待ちにしている。

 

誤解のないよう注記しておくと、ダヴィドウィッツはこうした実験を教育の効果測定など社会課題の解決に活かせると述べている。

 

でも、別の政治的意図を持った人間はこの手法を悪用できるはずだ。それは例えば、特定のプロファイルの人間に恐怖を与えると反応が強く返ってくるか、といった検証である。

 

*BBCチャンネル4のケンブリッジ・アナリティカ事件検証シリーズ動画

"It's no good fighting an election campaign on the facts. Because actually it's all about emotion."

「選挙をファクトで戦うのは得策ではない。なぜなら感情が全てだからだ。」

(CA社のManaging DirectorのMark Turnbull)

 

まとめ:従来の権力闘争がお菓子作りに見えてくる世界

クリストファー・ワイリーの内部告発が正しければ、スティーブ・バノンとトランプ陣営は、ビッグデータ分析を用いた心理オペレーションという文化の武器(culture weapon)を手に入れた。

 

この武器があるとないとでは大違いで、ガーディアンの記事の表現を借用するなら、それは、House of Cards(政治権力闘争ドラマ)の世界を、The Great British Bake Off(英国のお菓子作りコンテスト番組)に変えてしまう。

 

ケンブリッジ・アナリティカ事件について、ニュースとして見えているFB社のデータ管理を巡る議論は、問題のフロントエンドでしかない。本当にやばいのは、バックエンドで動いている行動操作のアルゴリズムではないだろうか。

 

SNSの世界は移り変わりが早い。FBはいずれ誰もログインしないサービスになってるかもしれない。でも、たとえば中国はビッグデータに基づく行動操作の実験をガンガンやるだろうし、マーケティングとマニュピレーション(操作)の線をどこに引くか、それを選挙広告にも適用してよいかという問題はたとえFBがなくなっても残るだろう。

 

CA社がハックしたのは、データでなくて人間である。だからこの事件は、たとえばジョン・ル・カレの政治スパイ小説みたいな話ではなくて、伊藤計劃の虐殺器官みたいな話なのだと思う。 

虐殺器官 (ハヤカワ文庫JA)

虐殺器官 (ハヤカワ文庫JA)

 

 

余談、と日本語字幕リンク追記

なお、この記事ではいわゆる政治スキャンダルみたいな側面には触れなかったけれど、ガーディアンの記事に書かれているクリストファー・ワイリーの出自と今回の事件の経緯は正直言ってめちゃくちゃ面白い。私がもしマイケル・ルイスだったらすぐに本にしたい。ADHDでゲイでヴィーガンでいじめを理由に高校を中退した過去を持ち、ファッションのトレンド予測を政治に応用したクリストファー・ワイリーの出自の章だけでお腹いっぱいになりそうだけど。

 

※3/27追記

ガーディアンによるクリストファー・ワイリーのインタビューに日本語字幕をつけている方がいた。リンクを貼っておくのでぜひご覧いただきたい。

こういう人をロックスターみたいに扱ってはいけないのだろうけど、ディストピア小説の主人公かその敵役を見るような暗い興奮をおさえられない。

ケンブリッジ・アナリティカ内部告発者インタビュー翻訳 | Blue Room

*1:たとえばボタンの色をAとBとで2パターン作ってどちらがよりクリックされるかを測定するテストのこと