未翻訳ブックレビュー

世界の本への窓 by 植田かもめ

霞が関の中心でデジタル独裁を叫んだ会長

 

叫んではいないだろうけれど、経済同友会の会長は「サピエンス全史」のユヴァル・ノア・ハラリがお好きなようだ。

 

ハラリが2018年1月のダボス会議で語ったDigital Dictatorship(デジタル独裁)という概念を、三菱ケミカルの会長でもある小林喜光氏が国交省の検討会資料にぶっこんでいた。

 

http://www.mlit.go.jp/common/001220776.pdf

国土交通省スーパー・メガリージョン構想検討会第6回資料3(PDF)

 

 "Will the Future Be Human?"(未来は人間のものか?)と題されたダボス会議の講演で、「我々はホモ・サピエンス最後の世代のひとりだろう」とハラリは語る。「デジタル独裁」というのはこの講演で彼が紹介した*1概念だ。ビッグデータ、特にDNAや身体の反応を含むバイトメトリクスデータの所有は過去にないレベルの格差を生む。それは「階級」の格差を超える「種」の格差をもたらして、過去に例がないタイプの独裁が生まれるという予想である。

 

 

このアイデアの背景には、当ブログでも何度か紹介したハラリの2作目「ホモ・デウス」で展開される彼の歴史観がある。

 

ダボス会議の動画を基にその歴史観を要約するとこんな感じだ。倫理的にどちらが望ましいかをいったん忘れて、独裁と民主主義を比較すると、少数の人だけで集中的に意思決定する仕組みが独裁で、多くの人に分散して意思決定する仕組みが民主主義である。過去数百年、だいたいの場合において民主主義は独裁を上回る成功を収めている。ハラリの言葉で言うと、民主主義が独裁をoutperformしてきた。でもそれは、20世紀までの技術環境に民主主義がたまたま合っていたからだ。そして、ビッグデータ、機械学習、遺伝子編集といった21世紀の技術環境を最大限利用できるのは、意思決定を少数の人に集中させる仕組みの方なんじゃないか。独裁は民主主義をoutperformして、民主主義は負けてしまうのではないか。

 

この講演を見て以来、digital dictatorshipという言葉が気になっている。誰もがすぐイメージするのは中国だろう。

 

 

で、このdigital dictatorshipでググっていたら、なぜか国交省のページが出てきた。それが冒頭にリンクした検討会資料である。

 

本題は「スーパー・メガリージョン構想」という検討会で、リニア中央新幹線で東名阪の三大都市圏を結んだメガリージョンを形成して世界を先導してうんぬんというもの。この検討会に18年2月にゲストスピーカーで小林喜光氏が招かれた際、冒頭でダボス会議での議論とハラリの「デジタル独裁」を紹介した模様である。

 

聞いていた出席者の人が食いついたのかポカーンだったのかは分からないけれど、経済団体のトップがこんな話から官公庁でのプレゼンを始めるのってすごいと思う。なぜなら本題から遠く離れた話だからだ。じゃあなんで入れたのかと言うと、「大局観を示したかった」みたいなもっともらしい理由があるのかもしれないけれど、単にハラリの講演が面白くて入れたくなったんじゃないかと邪推する。

 

なお、リンク先を見る人は少数だろうから誤解なきよう補足しておくと、プレゼンでデジタル独裁の是非を説いたり日本政府にも推奨しているわけではない。世界的な潮流としてそういう国や動きがあるのを前提として、日本はどう動くべきかという話をしているのだと思う。

 

ハラリがもしまた来日したら小林喜光氏と対談してくれないだろうか。ちなみに小林氏はハラリの出身国であるイスラエルのヘブライ大学に国費留学していた経歴を持つ。以下のインタビューでの「現在の人間は完成形ではない」との発言とか、明らかにハラリの「ホモ・デウス」を意識している。

 

 

なお、「ホモ・デウス」は2018年の9月に日本語版が出る予定らしい。待ちきれない方は映画の予告編を見るようなノリで当ブログの過去記事をぜひどうぞ↓

 

 

*1:Digital Dictatorshpという言葉自体はハラリが使い始めたものではなくて例えば2016年にEconomistも使っている

https://www.economist.com/news/leaders/21711904-worrying-experiments-new-form-social-control-chinas-digital-dictatorship