お金より時間より大事なリソース - 21 Lessons for the 21st Century by Yuval Noah Harari
この記事で言いたいこと
ユヴァル・ノア・ハラリは、毎日2時間、瞑想するらしい。
アテンション(注意、注目)は、現代で最も希少で重要なリソースだ。
誰もが瞑想したがっているわけじゃないけれど、自分でアテンションをコントロールするのが大事。
目次
ただ、観察せよ("Just Observe")
「サピエンス全史」「ホモ・デウス」に続くハラリの著書”21 Lessons for the 21st Century"(21世紀のための21のレッスン)は、移民やナショナリズムなど現代社会の問題について語る本だ。
どんな本であるかは、私も連載させてもらっている「翻訳書ときどき洋書」に、翻訳者の倉田幸信さんの記事が既に出ているのでぜひご覧いただきたい。
そして、このエッセイ集(と、呼んでしまおう)の最終章を、ハラリは「瞑想」というテーマにあてている。
「自分がどんな色眼鏡を通して世界を見ているか」を読者に示すためにハラリは自身と瞑想との関係を語る。ハラリが実践しているのは「ヴィパッサナー」という瞑想だ。
2000年にはじめてトレーニングを受けて以来、1日2時間の瞑想(!)を行い、さらに、毎年1、2カ月の長期コースの受講を続けているという。
ヴィパッサナー瞑想では、ただ自分の呼吸に意識を集中する。それは「いまの現実をただ観察する」経験だという。
これがポイントで、ハラリにとって瞑想とは「特別な感覚やエクスタシーを味わう」ためのものではない。宇宙と一体化したりもしない。
それとは真逆で「最もありふれた、平凡な感覚」である鼓動や血圧や痛みを観察するためのものだという。
宗教は瞑想を使うことが多いけれど、瞑想が宗教的である必要はない。
瞑想は、
「あらゆる物語(story)、理論(theory)、神話(mythology)を受け入れることを止めて」「現実をそのまま観察する」ためのテクニックだとハラリは語る。*1
なお、物語を捨てて現実を観察する、という話は以下記事で紹介した動画でも語られていたのであわせてどうぞ↓
アテンションというリソース
さて、ハラリが瞑想を重視するのは、いわゆる「マインドフルネス」や「デジタルウェルビーイング」といった考えと同じ文脈にあると思う。
ジャカルタポストのインタビューで、ハラリは、「アテンション(注意、注目)は、現代で最も希少で重要なリソース」であり、「スマートフォンなどの機器やインターネットサイトの多くは、人のアテンションを盗む」ように設計されていると語る。
ベン・パーの2015年の著作「アテンション」*2で紹介されている研究によると、1986年の人は一日平均で新聞約40部に相当する情報にさらされていたが、2006年には、それが4倍以上の174部相当になったという。毎日誰かが玄関のドアの前に新聞を174部置いていくような状態だ。2018年現在はもっと増えているかもしれない。
同書によれば、アテンションとは要するに、作業記憶という資源をどこに向けるかのことである。
この資源は有限だ。日本語で「注意を払う」と言うし、英語でもpay attention toと言う。たとえばWebサービスやSNSをタダで使うとき、実際はアテンションというリソースを支払っているのだ。
だとすると、貴重な資源を支払っただけの対価を私たちは得ているのだろうか。
誰もが1日2時間の瞑想ができるわけじゃないだろうけれど、お金や時間の使い道を管理するのと同じように、アテンションを自分が何に使っているのかをコントロールすべきなのではないか。
アテンションを無駄にする、または誰かに切り売りすることは、ハラリ的な言い回しをすると「ヨーロッパの帝国主義の全盛期に、色のついたガラス玉と引き換えに、征服者や商人に、島や国をまるごと差し出した」のと同じような行動なのかもしれない。*3
正気という「第三の道」
最後になるが、ハラリは本書"21 Lessons〜"の別の章で、SFについても語っていて、オルダス・ハクスレーの「すばらしい新世界」を絶賛している。
同書は、管理されたユートピアでの快適な生活と、原始的だけど自由な生活(「不幸になる権利」)との間の選択を主題にしている。でも、1946年の新版への著者前書きで、ハクスレーは別の道も示唆している。
"今この小説を書き直すとすれば、わたしは野蛮人ジョンに第三の選択肢を与えるだろう。相容れないユートピアと原始社会のあいだに、正気の道の可能性を提示するのである" *4
「正気の道」とは、アテンションを自分でコントロールする生き方ではないだろうか。
快適になりたいならば、お金というリソースを管理すればいい。自由になりたいならば、時間というリソースを管理すればいい。
でも、正気でいたい、ハラリが繰り返し使う言葉に置き換えると「明晰さ」(clarity)が欲しいなら、アテンションというリソースを管理すべきなのだと思う。
ユヴァル・ノア・ハラリ著”21 Lessons for the 21st Century"は、2018年8月に発売された一冊。前二作からの使い回しも多いし、個別の政治経済アジェンダへの提言は凡庸に思える。でも、ハラリってもともと「総論最強、各論ぼんやり」の人だから、気にしないで面白そうな章をつまみ読みするのがよいと思う。
21 Lessons for the 21st Century
- 作者: Yuval Noah Harari
- 出版社/メーカー: Jonathan Cape
- 発売日: 2018/08/30
- メディア: ペーパーバック
- この商品を含むブログを見る
*1:
ちなみに、ハラリが瞑想の師としているゴエンカ師の部屋のドアには「理論的、哲学的な議論はご遠慮ください。瞑想の実践に関してのみ質問してください」との注意書きがあるらしい
*2:
ベン・パー「アテンション」の原題は"Captivology"。人のアテンションをどう掴む(captive)かを研究した本で、この記事の趣旨とは逆方向の本なのだけど大変面白い。名著「影響力の武器」のWeb時代アップデート版みたいな本だ
*3:
「ホモ・デウス」第9章では、(アテンションではなく)個人データについて以下の言い回しをしている
"ヨーロッパの帝国主義の全盛期には、征服者や商人は、色のついたガラス玉と引き換えに、島や国をまるごと手に入れた。二一世紀には、おそらく個人データこそが、人間が依然として提供できる最も貴重な資源であり、私たちはそれを電子メールのサービスや面白おかしいネコの動画と引き換えに、巨大なテクノロジー企業に差し出しているのだ。"
*4:
光文社古典新訳文庫版から引用