【さよなら人類】ホモ・サピエンスからホモ・デウスへ - Homo Deus by Yuval Noah Harari
Homo Deus: A Brief History of Tomorrow
2016/10/31 初出
2018/09/09 日本語版「ホモ・デウス テクノロジーとサピエンスの未来」発売につき更新
「あなたが望めば戦争は終わる」とジョン・レノンは言ったけれど、望まなくても戦争が終わり、望まないと死ねない時代が来るかもしれない。ただし万人にではない。
本書「ホモ・デウス」は、イスラエルの歴史学者ユヴァル・ノア・ハラリによる未来予測本である。以前にこのブログでも取り上げて↓日本語版も2016年9月に遂に発売された世界的ベストセラー「サピエンス全史」(Sapiens)の続編にあたる。*1
目次
飢餓、疫病、戦争
過去数千年に渡り、人類の悩みランキングの上位には変動がなかった。飢餓、疫病、戦争がトップスリーである。
21世紀の現代もこれらの問題は残っている。けれど同時に、人類の歴史上初めて、飢餓で死ぬ人の数は飽食で死ぬ人を下回り、疫病で死ぬ人は寿命で死ぬ人より少なく、戦争やテロや犯罪で殺害される人数は自殺者の数を下回っている。
たとえば1692年から1694年までの間にフランスでは人口の15%にあたる280万人が飢餓で死亡した。一方、2010年には、飢餓や栄養失調による死亡者数は全世界で約100万人である。反対に、肥満に起因する死亡は300万人に達する。また、たとえば14世紀のペストは当時のユーラシアの人口の4分の1に達する7500万人を死亡させた。しかし疫病や感染症への対策は進み、現代の乳児死亡率は5%程度、先進国では1%程度である。さらに、2012年には戦争や犯罪を含めた暴力の犠牲者数は62万人(兵士・民間人どちらも含む)であったが、自殺者の数はそれを上回る80万人に達する。ちなみに糖尿病による死者は150万人であり、人類は銃よりも砂糖に殺されている。
そして、これら3つの問題の共通点は「死」をもたらすという点だが、2100年や2200年には死が選択肢の1つになる時代が来ると本書は予測する。そこに至る道は、遺伝子工学など有機物としての生命エンジニアリングと、サイボーグ化を含めた無機物としてのエンジニアリングの両面である。
これは人間を神へとアップグレードさせる取り組みであり、そこで生まれるのは現生人類であるホモ・サピエンスとはもはや別の存在だ。ハラリはそれを本書のタイトルである「ホモ・デウス」と名付ける。デウスは「神」の意味である。このアップグレードの中核にあるのは、上述した生命科学と、AIを含めた情報技術の発展だ。
知性と意識の分離
未来予測でAIの発展という話になると、いわゆるシンギュラリティ論のような「AIが意識を持つ」という未来をイメージするかもしれない。でも本書は違う見立てをする。
「そもそも知性と意識はどちらが重要なのだろうか」ハラリはそう問いを立てる。意識を持つ人間だからできると信じられている認知タスク(芸術の創造や発明など)が、実は何らかのアルゴリズムに従っているだけなら、いずれAIで実現可能なはずだ。ただしそのとき、でたらめな進化の末に人間の認知機構がたまたま実装した「意識」を、人間よりはるかに高度な「知性」は必要とするだろうか。知性(intelligence)は必須だが、意識(consciousness)はオプションに過ぎない。この分離を本書はグレート・デカップリングと呼ぶ。AIによって人間の仕事は置き換えられて、多くの人間が役立たずになるだろう。富裕層、ならぬ、不要層(useless class)の誕生である。でも、馬車が自動車に置き換えられても、馬はリタイアするだけで、殺されるわけではない。意識を持たないが人間よりもはるかに高度な知能を持つAIの傍らで、意識を持つ人間は別の何かをすればよい。
人間主義の終わり?
さて、生命科学や情報科学についての未来予測本は数多くある。個別のトピックについて本書よりも詳細な分析をした本は幾らでも見つかるだろう。
けれど、歴史学者であるハラリの面白い点は、それらを統合して歴史的な文脈に位置付ける点だ。西暦2016年のホモ・サピエンスが達成しているヒューマニズムとリベラリズムのパッケージ、それは個人の平等であり自由意思の尊重であり民主主義であるけれど、生命科学と情報科学の発展はそれらを終わらせるかもしれないとハラリは言う。代わりに現れるのは全体主義でも共産主義でもなくデータ主義(Dataism)である。
たとえば現在の自動車のナビシステムは、ルートAが渋滞しているときに、ルートBが空いているという情報をドライバーに与える。その結果ドライバーはルートBに殺到して、今度はルートBが渋滞する。ドライバーに平等に主権があり、彼や彼女の自由意志が尊重されている世界では、民主的な意思決定の結果として渋滞が起こり続ける。
でも、もし全員が同じシステムを利用していたら何ができるだろう。そのシステムは、全ドライバーのうち半分にだけ、ルートBが空いているという情報を出す。ドライバーがその情報に従えばルートBは渋滞しないし、事故も減るかもしれない。もしそれがフェアじゃないなら、最初からドライバーに運転の権利を与えなければよい。全ての車を自動運転で制御して、その内の半分にルートBを通らせればよい。
こうした考え方は人間を冒涜しているように思える。でも、再び、ハラリの面白い点は歴史的な文脈を考える点だ。本書は言う。ファラオはエジプトを3000年統治した。ローマ法皇はヨーロッパを1000年支配した。もしラムセス2世の時代のエジプト民に「ファラオはいずれいなくなるよ」と言ったら「ファラオなしでどうやって秩序と平和と正義を保つのだ」と怒り出すだろう。もし中世ヨーロッパの人に「神はいずれ消えるよ」と言ったら「神がいなくて誰が人生の混沌に意味を与えるのだ」と怖れるだろう。でもファラオは滅び、神は死に、彼らが不在でも人類はポジティブに発展している。およそ300年前に誕生した民主主義や近代的なヒューマニズムが、別の仕組みに置き換えられない保証はない。*2
本書でハラリは人間の近代化の歴史を1行でサマリする。それは「意味(meaning)と引き換えに能力(power)を手に入れてきた」歴史である。かつては多くの文化や宗教が、人間は神や自然の法則が定めた偉大なプランの主役を演じていると信じてきた。それは人生に意味を与えたけれど、その神や自然の法則に背けないという足かせにもなった。反対に「神は想像上の産物に過ぎない」と考えることは、人生の意味を失わせたけれど、それまでタブーとされてきた領域の研究を可能にして人間の能力を拡張した。
ハラリはそこからさらにもう一歩踏み込む。「神は想像上の産物に過ぎない」かもしれないけれど、そもそも人間の「想像」が、データを処理するアルゴリズムの産物に過ぎないのではないか。神を解体して生まれた人間主義が、今度はデータ主義に解体される。それは「崇高な精神」といった人生の意味を失わせるけれど、生命科学と情報科学の爆発的な発展を可能にする。
ただしその過程で、ホモ・デウスにアップグレードされた新しいヒトに比べると、「賢いヒト」であったはずのホモ・サピエンスは時代遅れの生物になってしまう。それはウォール街に迷い込んだネアンデルタール人みたいなものだとハラリは言う。
そのときホモ・サピエンスは、自分が無関係な存在(irrelevant)になってしまったという寂しさ、人類が初めて出会う孤独*3を、種として味わうのかもしれない。
ユヴァル・ノア・ハラリ「ホモ・デウス」は2016年9月に発売された一冊。前作の「サピエンス全史」は、ジャレ・ド・ダイヤモンドが表紙に推薦文を寄せていて、マーク・ザッカーバーグもビル・ゲイツもバラック・オバマもオススメに挙げていたというモテっぷりだったけれど、今作も「ファスト&スロー」のダニエル・カーネマンが推薦文を寄せている。日本語版の発売予定は不明。
*2018/9/9 追記:日本語版が発売された。上下巻に分かれているけど、下巻の第3部から読むのがオススメ。
Homo Deus: A Brief History of Tomorrow
- 作者: Yuval Noah Harari
- 出版社/メーカー: Vintage Digital
- 発売日: 2016/09/08
- メディア: Kindle版
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*1:3部構成の本書だけど、ぶっちゃけ第1部と第2部は前作「サピエンス全史」の使い回しである
*2:とはいえ、ダーウィンの理論が人種差別的な思想に利用されたのと同じように、「テクノロジーが民主主義を置き換える」みたいな発想って誤解されやすいのだろうなと思う。以下の記事なんかまさにそんな話。
今やシリコンバレーの経営者たちからトランプを支持する動きが出ている。それは思想的に「転向」したわけじゃなくて、テクノロジーやデータを積み重ねたテックユートピアみたいな技術信仰とトランプの全体主義的な思想の相性が良いからなんです。
*3:平田オリザがマンガ「寄生獣」に寄せたコメント「人類が初めて出会う孤独が描かれている」より引用