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未翻訳ブックレビュー

Lost In Bookish Rambles. 日本語版発売を待たずに本を紹介するページです

イ・ラン「神様ごっこ」とミランダ・ジュライ - Playing God by Lee Lang

 

「すごい!神!」「あぁ、神だw」

誰かと話したりネットのコメントを見ていて最近思うのだけど、日本語の「神」という言葉の使われ方って、いつのまにか英語の'Oh my God!'とあんまり変わらなくなっている気がする。上の2つはどちらもまんま「オーマイガ」に置き換え可能である。

 

強調の意味で「神」が多用され始めたのがいつ頃からか分からないけれど、手元のスマホに入れてある大辞林のアプリにはこの用法が既に載っている。

かみ【神】

主にネット利用者が使う俗語で、神懸かっているとしか思われないほど優れていること。突出していること。

(松村明編「スーパー大辞林」Ver.4.1.1)

 

・・といった話をこの記事を書いてから思いついたけれど、本題とは関係ない。韓国のインディー系シンガーソングライターであるイ・ランの作品「神様ごっこ」がとてもすばらしいという話が本題。

神様ごっこ

イ・ラン - 神様ごっこ(Lee Lang - Playing God)

 

死と哲学についてのエッセイと音楽

2016年の9月に日本特別仕様CDが発売された彼女のアルバム「神様ごっこ」には、約70ページのブックレットがついている。CDとどちらがメインか分からなくなりそうだけど、そもそもオリジナルの韓国版にはCDが無く、書籍に音源のダウンロードコードが付いているという形態らしい。日本用にわざわざ(仕方なく?)円盤を焼いたようだ。

 

「死と哲学について考えるレコードを作りたかった」

イ・ランは本作をそう説明している。ブックレットでは「ヘル朝鮮」*1のソウルでの生い立ちや自身の考え方が長文エッセイに綴られていて、その合間に全10曲の歌詞が挿入されている。曲順とは関係なくエッセイの流れに沿って歌詞が登場するので、移動のシーンのたびに音楽が流れるロードムービーを観ているような感覚になる。収録曲のひとつである「世界中の人々が私を憎みはじめた」は以下の公式動画で日本語字幕付きで聴ける。

世界中の人々が私を憎みはじめた

私が彼らを愛していると言いはじめた時から

人々はおかしなものを褒めはじめた

例えば私がよく知っていることについて

実際に私がどんなことを話すかは重要とせず

人々は言葉と言葉の間のユーモア探しにだけ熱中した

 

この動画をはじめて観たとき「ミランダ・ジュライみたいな人が韓国にもいるんだな」と思った。で、彼女たちのような作家群をなんかグループ化して呼べないかなとも思った。

 

科学者の目線、神の目線

ミランダ・ジュライはアメリカの女性小説家。ただし小説だけでなく映画や美術作品も手がける。このブログでも以前紹介したので、以下にセルフ引用する。

 

ミランダ・ジュライの小説には奇妙な人物ばかり登場する(「イタい連中」と言い換えてもいい)。上述の短編集の登場人物たちが繰り広げる愛?の形も様々だ。友人の妹との恋を妄想する、一度も恋愛経験のない独身老人男性。洗面器に水を張って近所の老人に泳ぎ方を教える女。「死ぬ前にこれだけはお前に伝えておきたい」と、女性を満足させるための指遣いをに教えて息をひきとる父。

一体なぜ、ミランダ・ジュライはこんなに何重にもねじれた人物や状況を描くのだろう。

(略)

むしろこれは、化学の実験のようなものなのかもしれない。未知の試料を光や熱に反応させて対象物質Xの成分や構造を同定するように、「愛」だの「家族」だのといった対象Xを様々な条件にさらして、その性質を見極めようとしているのかもしれない。

 

上の記事では実験みたいと書いたけれど、ミランダ・ジュライの小説を読んでいると、人間を俯瞰してその行動を試しているように思える。

 

で、同じような人間との距離の取り方がイ・ランの作品にもあると思う。「神様ごっこ」をするイ・ランは、下界の人間たちを観察して、その挙動を嘆き、讃える。勝手な解釈だけど、上に貼った「世界中の人々が私を憎みはじめた」における「私」とは、生身の人間だけでなく神を指すとも解釈できる。「なんでこんな世界を放置しているんだ」と世界中から憎まれる神だ。ミランダ・ジュライの小説が科学者の実験ノートならば、イ・ランの作品は神様が毎晩寝る前に胸を傷めながら書きつづる日記である。

 

・・といったことを考えながらイ・ランのエッセイを読んでいたら、ミランダ・ジュライの展示をイ・ランが友達と観に行くという場面が思いっきり出てきた。なんだ、とっくに意識しているのか。

 

その展示は、ミランダ・ジュライが出す「課題」に一般の人々が回答する参加型プロジェクト'Learning To Love You More'である。「大事なコーディネートの写真を撮影して」「木に登ってそこからの眺めを撮影して」といった課題に対して、人間たちが思い思いの作品を投稿する。ミランダ・ジュライやイ・ランのような作品を「セカイ系」ならぬ「神様系」とか勝手に呼びたい。

 

埋もれる「私」の慰労

さて、ミランダ・ジュライやイ・ランの作品に似たモノって昔からあるのかもしれない。私が知らないだけで。

 

それでも、この人たちの作品は現代的な問題に向き合っている気がする。それは、個人が巨大な統計データのいちサンプルでしかなくなるときに、どうやって「私」の価値を守るのかといった問題だと思う。

 

たとえばだけど、もし自分が今ポケモンGOの開発者や運営者だったら、人間がアリみたいに見えてくるんじゃないかと思ってしまう。エサを配置しておけば、勝手に群れの動きに流れができ上がって、しかも膨大な位置データをフィードバックしてくれる。

 

フェイスブックには1日に3億枚の写真がアップされて、45億回の「いいね」がマークされるらしい*2。学校の教育はひとりひとりがかけがえのない存在だと教えてくれるけれど、この巨大なデータに埋もれる「私」や「あなた」にホントにそんなかけがえのない価値があるのだろうか。入替可能なただのノードに過ぎないのではないか。*3

 

そんな風に定量化されて相対化されてしまう個人を守ろうとするのが芸術家の仕事なのかもしれない。たとえば上に挙げたミランダ・ジュライの'Learning To Love You More'は、1枚の写真を通じて見ず知らずの他人の人生に親しみがわいてくるという効果を生む。まさに「あなたをもっと愛する方法を学ぶ」のだ。たまたまフリーペーパーに売買広告を出した人を訪ねる「あなたを選んでくれるもの」というインタビュー集も似たようなプロジェクトである。

 

イ・ランの場合は、セルフィーと「いいね」の時代に、死と哲学についてのレコードをぶっこむ。「私が考える芸術の目的は'慰労'だ」エッセイの中で彼女はそう語る。ハロウィーンの行列に神様の仮装で紛れ込んだみたいに、一見楽しそうな群衆の中に、慰労すべき個人を探す。 

「若者よ この地球へようこそ

夏は暑くて 冬は寒いところさ

そこの君 長く生きて100年くらいかな

セックスは安全に いのちを勝手に生み出すな

地球は神様じゃなくて サタンがつくったとさ

信じられないやつは 新聞を買って読め

いつの新聞でも どこの新聞でもいい」

 

*アルバム収録曲「良い知らせ、悪い知らせ」の歌詞として引用されている、カート・ヴォネガット「国のない男」の一節

 

イ・ランのセカンドアルバム「神様ごっこ」は2016年9月に日本版が発売された一作。彼女は日本とも縁が深くて、11月に来日ツアーも行う予定。

 

 

なお、Sweet Dreams Pressというショップで本作を買うと特典CD-Rが付いてくるのだけど(枚数限定のようなのでいつまで付くかは不明)、その収録曲も良い。「死ぬまで食べても2500円 ワインください デキャンタで」と日本語で歌う'I Saizeriya U'なんて曲も入っている。

 

 

あと、日本版ブックレットにはIRREGULAR RHYTHM ASYLUMというショップの成田圭祐という方のライナーノーツが付いている。イ・ランが予告なく来日して家に来るほど親しい友人らしいけれど、客観的な分析と個人的な交流がバランスよく並んだ良い文章だった。

 

*収録曲「笑え、ユーモアに」のライブバージョン。チェロがとても良い

 

*イ・ランが気に入った方にはミランダ・ジュライの本もオススメ。逆もまた然り

いちばんここに似合う人 (新潮クレスト・ブックス)

いちばんここに似合う人 (新潮クレスト・ブックス)

 

 

あなたを選んでくれるもの (新潮クレスト・ブックス)

あなたを選んでくれるもの (新潮クレスト・ブックス)

 

 

 

*1:VICEのインタビューで本人が自虐的に使っていた呼び方

*2:Top 20 Facebook Statistics - Updated November 2016

*3:別にフェイスブックや他のSNSにデータを提供するために生きているわけじゃない、と言いたくなるところだけど、もう既に「SNS映えするから」どこかへ行ったり何かをしたりする行動が広く見られると思う。。