未翻訳ブックレビュー

世界の本への窓 by 植田かもめ

プロは奇跡を起こさない - 「ハドソン川の奇跡」と「夜間飛行」

Sully: My Search for What Really Matters 夜間飛行 (新潮文庫)

 

御年86歳のクリント・イーストウッド監督の新作映画「ハドソン川の奇跡」を観た。ニューヨークのハドソン川にUSエアウェイズ便が不時着して世界中でニュースとなった2009年の出来事を描いた本作は、アクション映画でもパニック映画でもなかった。どんな映画なのかを町山智浩さんが紹介していたので、「ラジオ書き起こし職人」みやーんさんのページから引用する。

  

(町山智浩)この映画が作られるって聞いた時に、これをどうやって映画にするの?って思ったんですよ。これね、飛行機が離陸してから着水するまでってたった5分間ぐらいなんですね。(略)したらね、この映画ね、すごいことにこれね、法廷劇になっていましたね。裁判劇でしたね。

これ、実際は着陸した後、延々と機長がやった判断は正しかったのかどうか?っていうことで、彼が裁かれたんですね。(略)国家交通安全委員会というのがありまして。(略)彼が着水という判断をしたのは乗客をもしかしたら非常な危機に陥れるような危険な賭けをしたのではないか?っていうことで、彼を徹底的に調査したんですよ。

 

そして、トム・ハンクス演じるサレンバーガー機長は、不時着が奇跡と呼ばれ、自分がヒーローと讃えられる事態に狼狽する。本作の原題は彼の愛称の'SULLY'である。以下、再び町山さんのラジオから引用。

 

で、このハドソン川の奇跡という言葉はですね、サリー機長は繰り返し繰り返しテレビのインタビューとかいろんなところで、「絶対に『奇跡』と呼ばないでくれないか?」って言ってたんですけどね。 

「『奇跡』っていうのはあり得ないことが起こることだ」と。(略)「要するに神の御業みたいなことだ。そうじゃないよ。これは、私は42年間、こういったことが起こったらどうなるか?っていうシミュレーションとか訓練をずーっと受けてきたんだ。そのマニュアル通りにやっただけだ」って言っているんですよ。

それだけじゃなくて、もし奇跡っていうことになっちゃうと、国家交通安全委員会が糾弾している理由が正しいことになっちゃうんですよ。(略)「偶然に任せた、運に任せただろう? 一か八かのギャンブルをしただろう?」っていうことになっちゃうんですよ。(略)だから「奇跡」っていう言葉でOKにしちゃうと、彼は罪を負うことになっちゃうんですよ。

あとね、「『ヒーロー』って言うのも勘弁してくれないか?」って言ってるんですよ。(略)「『ヒーロー』っていうのは自分の身を危険にさらしたり、死ぬかもしれないようなことをやってみる勇気のある人っていう意味だろう? 私はそんな博打をしていません」って言ってるんですよ。彼は。

 

映画の中でサリー機長は「私は自分の仕事をしただけの男」(I'm just a man doing his job)と語る。彼はヒーローではなくて、プロフェッショルなのだ。プロは奇跡を起こさないし、ギャンブルをしない。然るべき訓練と準備をして、傍から見ると「奇跡」と呼びたくなるような仕事の成果を挙げる。

 

サン・テグジュペリ「夜間飛行」

さて、「ハドソン川の奇跡」のプロ意識の描き方にもしグッときたら、ぜひ読んでいただきたい小説がある。1931年に発表されたサン・テグジュペリの「夜間飛行」である。飛行機とパイロットについての作品というだけでなく、プロ意識や職業倫理についての作品という点でも共通している。余談ながら同じくサン・テグジュペリの「人間の土地」とともに管理人の座右の書のひとつである。

 

航空輸送業の黎明期、南米各地とヨーロッパやアフリカを結ぶ危険な事業に携わる人間たちを描いた同作を、アンドレ・ジッドは序文で「愛より大きい力を持った隠れた義務の観念」といった表現で賞賛している。

 

同作の主人公、郵便飛行会社の支配人リヴィエールは厳格な人物であり、ときに非情な決断を行い、事業を前に進める。

 

ひとに好かれたければ、ひとの気持ちに寄り添ってみせればいい。だがわたしはそんなことをまずしないし、心で同情していても顔には出さない。(略)わたしの仕事は状況を制することにある。だから部下たちも鍛え上げて、状況を制する力をもたせてやらなければならない。(二木麻里訳)

 

「ハドソン川の奇跡」を見てから「夜間飛行」を読み返してみると、リヴィエールがサリー機長に重なる。リヴィエールが苦悶するとき、個人的な脳内イメージではトム・ハンクスが眉間にシワを寄せている(リヴィエールはアメリカ人じゃなくてフランス人だけど)。サリー機長がヒーローと呼ばれることを拒むように、リヴィエールは安直な賞賛を拒む。

 

リヴィエールは考えた、「どの群衆の中にも、目立たないながら、驚くべき使命を持った人が含まれている。彼ら自身もそれを知らない。すくなくも・・」リヴィエールはある種のファンがきらいだ。彼には、この種の人間には、冒険の神聖な意義がわからず、彼らが発する賞賛の叫びは、かえってその意義を汚し、冒険を成し遂げた人間の価値を減少するとしか考えられなかった。(堀口大學訳)

 

自分の仕事をしたと言えるように

ネタバレにならないよう少しぼやかすけれど、「ハドソン川の奇跡」で個人的に一番好きなシーンは、機長と副機長が二人きりになって「私たちは自分の仕事をした」(We did our job)と言い合う場面だった。

 

世界中から喝采を浴びるかどうかより、事故検証者からの嫌疑にどう対応するかより、当事者同士で納得がいく仕事をできたかどうかが、プロのパイロットである彼らにとって一番重要だったんじゃないだろうか。

 

クリント・イーストウッド監督「ハドソン川の奇跡」は2016年10月現在劇場公開中。わずかな時間に起こった出来事とその後の地味な事故検証をムダなくモレなくドラマにまとめ上げる構成の匠っぷりがすごい一作。奇跡なんて起こさなくてもいいけれど、「自分の仕事をした」と言えるようにはなりたいなと思わされた映画だった。

 

夜間飛行 (新潮文庫)

夜間飛行 (新潮文庫)

 

 

夜間飛行 (光文社古典新訳文庫)

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