現代ほど辞書が読まれるべき時代は無い
Shooting an Elephant: And Other Essays by George Orwell (Penguin Modern Classics)
小ネタ記事。
言いたいことはタイトルの通り。
最近よく読んでいるBook Riotというサイトで、ジョージ・オーウェルのエッセイを引用しながら「ポスト真実」時代の辞書の重要性を語る記事があって面白かった。
できればリンク先の記事を見ていただきたいと思いつつ簡単に要約すると、オーウェルは1946年のエッセイ「政治と英語」(Politics and the English Language)の中で、言語の意味を不正確に使うだらしなさは思考を劣化させ、それがさらに不正確な言語使用を生むという悪循環を憂慮していた。
記事の執筆者のZoe Dickinsonは、言語の意味が勝手に変えられてしまう「ポスト真実」「オルタナティブファクト」の現代では、辞書の重要性が高まっていると述べる。Dictionary.com(@Dictionarycom)やMerriam-Webster(@MerriamWebster)といった辞書ページの公式ツイッターアカウントは、トランプ政権の言葉の誤用を指摘している。辞書はもはや単なるデカい本ではなく、政治的な討議の最前線の場なのだ。
トランプが大統領になってからアメリカではオーウェル「1984」が急にベストセラーになったりしたけれど、たとえばトランプが自分に敵対するメディアをツイッターで「フェイクニュースメディア」と呼んでいるのって、まさに言葉の意味の書き換えだと思う。
Anybody (especially Fake News media) who thinks that Repeal & Replace of ObamaCare is dead does not know the love and strength in R Party!
— Donald J. Trump (@realDonaldTrump) 2017年4月2日
もともと「フェイクニュースメディア」という言葉は、昨年の大統領選挙でトランプを支持する虚偽記事を書いていたサイトを指す言葉として広まった(参考過去記事「憎んでいるのでなく憎まされている」)。トランプはそれをいつの間にか「政権に敵対する大手メディア」(日本語で言うところの'マスゴミ'みたいな感じ)の意味に書き換えようとしている。
上に紹介したBook Riotの記事では「言葉を定義することは政治そのものだ」と述べられている。あえて卑近な例に置き換えると、ビジネスの場なんかでも、言葉をめぐるパワーゲームというのは頻繁に起こる。たとえばソフトウェア開発の下請けが「バグ改修は無料ですが、仕様変更は有料です」と定義すると、どこまでがバグでどこからか仕様変更かをめぐって、発注元が勝手に定義をしようとしたりする。言葉の権力闘争である。
そういうパワーゲームに巻き込まれないようにするために、ビジネスであれば契約書や仕様書といった文書を事前に厳密に作成する。何かゴタゴタが起こったらその文書を正として参照する。
辞書の重要性というのはこれと同じだ。たとえば、意図的に誤用した言葉がSNS上の物量作戦で広まったときに、反論するためのファクトチェックとして辞書を使える。そうしないと、単に声が大きい側が陣取りゲームのように言葉の意味を決めることができてしまう。
でも、そもそも辞書を公権力が定義していたらどうなるだろう?オーウェル「1984」はまさにそういう世界の話だ。支配権力である'党'が、ニュースピークという言葉を定義する。さらに「戦争は平和なり、自由は隷属なり、無知は力なり」といった二重思考(ダブルシンク)を使って、言葉の意味を書き換えていく。
辞書編纂作業を描いた三浦しをんの「舟を編む」の中で、登場人物が「辞書は民間が作ることが大事」と語るシーンがある。何年か前に同書を読んだときはあんまりピンとこなかったけれど、その意味がわかってきた気がする今日この頃である。
「公金が投入されれば、内容に口出しされる可能性もないとは言えないでしょう。また、国家の威信をかけるからこそ、生きた思いを伝えるツールとしてではなく、権威づけと支配の道具として、言葉が位置づけられてしまうおそれもある」
(中略)
「ですから、たとえ資金に乏しくとも、国家ではなく出版社が、私人であるあなたやわたしが、こつこつと辞書を編纂する現状に誇りを持とう。」
(中略)
「言葉は、言葉を生み出す心は、権威や権力とはまったく無縁な、自由なものなのです。また、そうであらねばならない。」
---三浦しをん「舟を編む」より
おまけ:オススメの辞書
最後におまけで、管理人が好きなLongman Dictionary of Contemporary English(LDOCE)という英英辞書をオススメしておく。
この辞書は何がすごいかと言うと、よく使われる2000語の平易な言葉だけを使って、意味を説明する。定義に使われる2000語はDefining Vocabularyと呼ばれて、それ自体がフリーで配布されたりもしている。いわばメタ辞書。
同辞書はオンラインでも使えるし、アプリもある。
Longman Dictionary of Contemporary English | LDOCE
LDOCE (InApp) - Longman Dictionary of English 5th on the App Store
管理人はこの辞書の存在を読書猿さんの以下記事で知った。おまけのおまけだけど、読書猿さんが最近出版した「アイデア大全」は、実用書であり教養書でもあるという、志が高すぎる一冊なのでこちらもオススメ。スゴ本ブログでも激賞されている。
- 作者: ジョージ・オーウェル,高橋和久
- 出版社/メーカー: 早川書房
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