未翻訳ブックレビュー

世界の本への窓 by 植田かもめ

カタルシスより笑い - エトガル・ケレット未訳短編集

The Bus Driver Who Wanted to Be God & Other StoriesMissing Kissinger

The Nimrod Flipout: StoriesThe Girl on the Fridge: Stories 

 

「あんたらが任務にあたるとき、天国で70人のエロい処女が待っていると教えられるってホント?」

 

「ホントだよ」ナッサーは言った。「それで実際に俺が手にしたものを見てみろよ。ぬるいウォッカだ。」

 

自殺した人間だけが行き着く世界のとあるバーで、自爆テロ犯がそんな風に愚痴を言う。エトガル・ケレットの連作短編"Kneller's Happy Campers"のワンシーンである。同作は「リストカッターズ」というタイトルで、日本未公開だけど映画化もされている。

 

今年(2016年)日本語版が発売された「あの素晴らしき七年」というエッセイ集を読んだのがきっかけで、このイスラエル作家にハマった。5月に複数の記事を書いてほめまくったけれど、過去作を全部読み終えたので、この記事では再び彼を紹介する。

 

目次

エトガル・ケレット一日一話

母国のイスラエルで「もっとも作品が万引きされる作家」「囚人の間でもっとも人気のある作家」と形容されるケレットは、私にとって「この人は自分の心の友人」「これ好きな人とは仲良くなれそう」と言いたくなる作家のひとり。

 

2016年末時点で日本語訳が出ているのは上述したエッセイ集「あの素晴らしき七年」と短編小説集「突然ノックの音が」の2冊だけ。でも、その他に短編集が英語版で下記の4作出ている。なお、原書はヘブライ語であり、英語版も独自編集のコレクションみたいだ。同じ短編が複数の本に使い回しで収録されたりしていた。

 

彼の作品は一部を除いてどれも数ページで終わる「超短編」である。だいたい一日に一作のペースで数ヶ月かけて全部読んだ。私にとってはDaily Bible Verseであり松下幸之助一日一話みたいなものだった。小さな帽子から何でも取り出す手品みたいに、彼の短編は奇想天外なストーリーのものが多い。*1

 

星新一みたいというレビューも見かけたが、短いだけで星新一なら、全ての3分ポップスはビートルズになってしまう*2。なぜ彼の作品はこんなに短いのだろう。

 

思うに、ケレットの短さは作品のテーマと不可分なのだ。個人的な解釈になるが、そのテーマとは「アンチカタルシス」であり「アンチロマン」である。

 

スッキリしないし美化もしない

カタルシスって何?辞書的には「精神の浄化作用」といった意味だけど、ここでは「読者が望む展開にして読者をスッキリさせること」としておく。勧善懲悪やご都合主義のストーリーなんかが該当する。

 

ロマンって何?辞書を引いてもイマイチ定義がはっきりしないけれど、ここでは「何かを実際以上に美化すること」としておく。偶然に出会った人を「運命の人」に変えるのがロマンだし、理不尽な暴力を「聖戦」に変えるのもロマンである。

 

ケレットの作品は読んでもスッキリしない。スルっと始まって、あっという間に終わる。1年間ずーっと見続けてきた大河ドラマが遂に迎えた最終回を見た!みたいな感動は全く生じない。どちらかというと、たまたま電車で隣にいた人がしていた話がとても面白かったとか、ファミレスで隣の客が子どもの前で夫婦喧嘩しているのを見て哀しくなったとか、そういう体験に近い読後感がある。設定は非日常的なものでも、惹起する感情は日常に寄り添うものだ。

 

そして彼の作品は何かを必要以上に美化することもない。

現実を美化してしまうのではなく、醜さにもっとよい光を当ててその傷だらけの顔のイボや皺のひとつひとつに至るまで愛情や思いやりを抱かせるような、そういう角度を探すのをあきらめない、ということについての何か。

(「あの素晴らしき七年」所収の「長い目で見る」より)

 

ホロコーストを生き延びた両親を持つケレットは、イスラエルのガザ侵攻を批判して母国では裏切り者呼ばわりされているそうだ。「あの素晴らしき七年」は世界中で翻訳されているけれど本国では出版されていない。誰かを排除したり攻撃したりすることで得るカタルシスや「愛国的」なロマンを否定する行動は、作品をミニマルな短さにする気質と通底しているのだと思う。

 

ただ、カタルシスもロマンもない彼の作品が「退屈」かというとそんなことは全くない。なぜなら「笑い」に満ちているから。

 

笑いの花

「あの素晴らしき七年」をレビューしたときはウディ・アレンみたいと書いたけれど、たとえば"Hole in the Wall"*3という短編は、全盛期(という言葉を使っていいのかわからないが)のダウンタウンのコントみたいな話だ。

 

天使と友達になりたい、そう願ったウージの前に、羽の生えた天使っぽい男が現れる。でも、彼は何もしてくれないし、人前では絶対羽を見せようとしない。あいつ、本当に天使なのか。疑ったウージは「ちょっと飛んでみせて」と彼に頼み込むが、頑なに拒否される・・

「まあ、ええで」ウージはふてくされた。
"Never mind," Udi sulked.

 

「ホンマは飛び方知らへんのやろ」
"I bet you don't know how to fly anyway."

 

「知っとるわ」天使は言い返した。
"Sure I do," the angel shot back.

 

「見られたないねん、それだけや」
"I just don't want people to see me, that's all."

 

(注)拙訳。関西弁の品質は一切保証しない

 

ずっとむかしに見たテレビ番組で「笑いとは、反骨という暗い枝に咲いたにぎやかな花である」*4と言っている人がいた。日本語には「話に花が咲く」という言い回しがあるけれど、笑いに満ちた多彩なストーリーテリングをするケレットは「どこまで本当なのかわからないけどとにかく面白い話を会うたびにしてくれる親戚のおじさん」みたいに思える。ちょっとこじつけになるけれど、最近見たアニメ映画「この世界の片隅に」も、日常生活のミニマルな笑いを、戦争(究極のカタルシスでありロマン)に対置させていて、笑いを反骨の武器にしていると感じた。ちなみに「盛り上がっている会話」を英語で'animated conversation'と言う場合がある。

 

カタルシスより笑い。もう何度もこのブログではプッシュしているけれど、ケレットに興味を持った方は、まずエッセイ集「あの素晴らしき七年 」をぜひ読んでいただきたい。なお、ケレットは2016年の11月に、ドナルド・トランプの「第3期」を舞台にした短編をBuzzfeedに寄稿したりもしている。

 

訳してみたよ

最後に、ここまで読んだ方向けにおまけ。

ケレットの未訳作品集に入っている作品のうち、特に好きなものを2作ほど個人的な趣味として訳してみた(英語からの重訳)。

 

ひとつ目は「お値段たったの9.99(税・送料込)」という作品。

原題は"For Only 9.99 (Inc.Tax and Postage)"*5

 

日本語で5〜6分で読める分量。あるボンクラ男が「人生の意味を教えるブックレットをお届けします」という広告を見つける話。

 

もうひとつは「パイプ」という作品。

原題は"Pipes"*6

 

日本語で2〜3分で読める分量。人生で何も楽しんだことがなく一度も笑ったことがないボンクラ男がパイプ工場ではたらく話(好きになる作品がボンクラ男の話ばっか。。)

 

読んでみたいというモノ好きな方はここをクリック。と言いたいところだけど、それはできないので、コンタクトフォームまたはTwitterのDMで、「ケレット希望」の旨を連絡くださいませ。しばらく待ってもらえれば個人的にPDFをお送りします(送るこちらも受け取るそちらもあくまで私的利用として、公開・複製・転載・引用などはご遠慮ください)。

 

さわりとして、「お値段たったの9.99(税・送料込)」をちょっとだけ紹介する。この作品、読んでいるときは声を出して笑った。訳してみるのも楽しかった。

(「人生の意味を教えるブックレット」の存在を主人公ナヒュームが家族に説明する場面より)

・・・

「この間抜けめ」と父は叫んだ。「俺がお前に人生の意味を教えてやる、この欠陥商品め」父はわめき散らして、スリッパを脱ごうしていた。「その子をそってしてあげて」ナヒュームの母が言った。彼を助けるために、父親から引き離そうとした。「その子、だと?」ナヒュームの父は怒ってゼーゼーと息を切らしながら、すぐにでも引っぱたくぞという感じでスリッパを振っていた。「こいつは8月で28歳になるんだぞ」「ちょっと無邪気なだけなのよ」母はしくしくと泣いていた。「だから何だよ?」

・・・ 

 

*1:'Hat Trick'という手品師が主役の短編もあったりする

*2:実際、全ての3分ポップスはビートルズなのかもしれないけれど。。

*3:"The Bus Driver Who Wanted to be God"収録

*4:管理人が中学生か高校生の頃に放送されていた「タモリの新・哲学大王」という番組で山藤章二が言っていた言葉

*5:"The Nimrod Flipout"収録

*6:"The Bus Driver Who Wanted to be God"収録