未翻訳ブックレビュー

世界の本への窓 by 植田かもめ

フランク・オーシャンは恋人をお前と呼ぶか - 翻訳における人称の屈折や揺らぎについて

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小ネタ記事。英語の一人称や二人称を日本語にどう訳すかは複雑になりつつあって、それは「男らしさ」や「女らしさ」といった概念が揺らいでいることにも関係しているのではないか、という説。

 

前の記事でもちらっと紹介した、米国社会で黒人がどう生きるかを父が息子に説く「世界と僕のあいだに」(タナハシ・コーツ著)という本の日本語版に次のような記述があった。

  

息子よ。お前と僕はその「底辺」なんだ。一七七六年にはそれが真実だった。そして今もなお真実だ。お前がいなければ連中もいないし、お前を破壊する権利がなければ、連中は山から滑り落ち、聖性を失い、「ドリーム」から転落する。

*下線は筆者

タナハシ・コーツ「世界と僕のあいだに」池田年穂訳より) 

 

この「お前と僕」というのは原文では"You and I"となっている。

 

日本語では人称に複数の言葉を使い分けるけれど、相手と自分を指す言葉は通常では対になる。たとえば一般的に男性が用いる人称の場合、あなた-わたし、君-僕、お前-俺がセットである。でも、上の引用箇所では原則と異なる使い方をしている。

 

文法的にまちがっている!とか言いたいわけではない。というか、上の箇所って「お前と俺は」よりも「君と僕は」よりも「お前と僕は」の方がきっとしっくりくる。文法的には原則から外れていても文脈的には違和感がない、これってなんでなのだろう。

 

YouもI/meも、マイルドで優しい言い方なのか、それともハードで強い言い方なのかによって訳し方がきっと変わる。同書では、一人称のコーツ本人は優しく語りかける父として「僕」と訳されている。一方で、本書で説かれるメッセージは黒人が白人優位の残る社会で生きていく厳しさを伝えるハードなものだ。だから二人称である息子は「君」ではなく「お前」になる。表にすると以下の感じ。

 

  I/Me You
マイルド/優しい ぼく きみ
ハード/強い おれ お前

色付き太字:タナハシ・コーツ「世界と僕のあいだに」の場合 

 

で、ここからが本題。なぜこんなことを考えたかと言うと、以前の記事でフランク・オーシャンの歌詞を解説付きで訳してみたときに、I/MeやYouが出てくるたびに、ぼく・きみ・おれ・お前のどれを使った方がいいのかめっちゃ迷ったのだ(勝手に訳しているだけだから何も迷わなくてもいいのだけど)。

 

R&Bやヒップホップ系の世界には、男らしさ(masculinity)を売りにするアーティストが多い。自分については自信たっぷりで、他人に対しては攻撃的。典型的な「おれ-お前」文化圏である。

 

  I/Me You
マイルド/優しい ぼく きみ
ハード/強い おれ お前

色付き太字:一般的なヒップホップのイメージ

 

ヒップホップの日本語盤に付いている訳詞なんかを見ても、俺お前俺俺お前ときどきビッチやNxxxxRって感じで訳されている。Ja Ruleが金持ちになる秘訣を説く本であるRicha Ja, Poor Ja: Ja Rule's Guide to Sensible Finance*1も、日本語版が出るときはきっと「おれ-お前」と訳されるだろう。

 

なんだけど、フランク・オーシャンのパーソナリティや歌詞ってすごく二面性がある。攻撃的な俺様だったりするかと思えば内省的でナイーブな僕ちゃんも感じさせる。

 

さらにさらに、彼はバイセクシャルなので、I/Meが男性としての自分と女性としての自分を両方はらんでいるし、歌詞の中に出てくる、恋人と思われるYouが男なのか女なのかも分からない。

 

結果、ぼく・きみ・おれ・お前が同じひとつの曲の歌詞でも入り乱れる感じがして、統一するとちょっと気持ち悪く感じる(自分が訳してみたときは、一応"I"は「僕」に統一して、Youは親密な人を指しているっぽかったら「君」、距離のある人を指しているっぽかったら「お前」に分けてみた)。

 

  I/Me You
マイルド/優しい ぼく きみ
ハード/強い おれ お前

*フランク・オーシャンのイメージ(入り乱れてぐちゃぐちゃ)

 

まとめ

男らしさ・女らしさとか、誰が強くて目上で誰が目下かとかの関係が分かりやすい時代には、I/MeやYouを訳すのって簡単だったと思う。でも、そういう分かりやすさを揺るがすフランク・オーシャンみたいな存在ってこれから増えてくるんじゃないだろうか。

 

そして個人的には、こうした屈折や揺らぎがフランク・オーシャンの最大の魅力だと思う。

 

おまけ

R&Bにおける男らしさ、みたいな話はこちらも勝手に訳した以下過去記事をどうぞ。

 

ちなみに、USではheやsheのかわりに三人称単数形としてtheyを使う用法が増えている。スウェーデン語では、男女どちらにも使える三人称のhenという言葉が辞書にも採用されたそうな。

 

最後に、MADなんだけど、アキラやラピュタとフランク・オーシャンを組み合わせた以下の動画がヤバい。ホテルに泊まって夜中にテレビつけて流れてきたりしたら泣いてしまいそうだ。

 

*1:と、いう本があるというのはフェイクです。アジズ・アンサリが自著Modern Romanceの中ででっち上げていた架空の書名より引用。