未翻訳ブックレビュー

世界の本への窓 by 植田かもめ

「個人攻撃マシーン」化した社会を論じるキャシー・オニールの新刊はおそらく必読書

The Shame Machine: Who Profits in the New Age of Humiliation (English Edition)

 

発売予定が2022年3月なのでまだかなり先だけど、これは必読だ。AIの活用が助長する社会的な偏見や不公正を論じた「あなたを支配し、社会を破壊する、AI・ビッグデータの罠」の著者であるキャシー・オニールの新刊が出る。さっそく予約購入した。

 

新刊のテーマは"Shaming"(シェイミング)だ。正式なタイトルは"The Shame Machine: Who Profits in the New Age of Humiliation"(シェイム・マシーン:誰が新しい時代の侮辱で得をしているのか)である。「シェイミング」は、「恥をかかせる、公にさらす」といった意味ではあるがしっくりくる訳語がなくて、意訳すると要するにネットを使った個人攻撃の事である。よく使われる用法としては、体型や容姿を揶揄する表現を「ボディ・シェイミング」と呼んだりする。心理学の用語では、恥の意識を持たせて相手をコントロールしようとする事(「〇〇をやるなんてお前は恥ずかしくないのか」)をもともとシェイミングと呼んでいたらしい。

 

アメリカでも日本でも、いくらでも例を挙げられるくらいネット上の「炎上」は起こっている。それに対して「Aさんは悪い」「Bさんも悪い」「Cさんは炎上はしているがそこまで悪くない」といった個別の議論も大事であるが、その背景にある社会的な力学とか構造的なメカニズムを考えたいなら、これは最適の一冊になるのではないだろうか。以下に、Amazonのページにある書籍紹介を訳してみた。

 

 

 ベストセラー"Weapons of Math Destruction"の著者による警告。ソーシャルメディアと分断された党派政治の時代における、アメリカの肥大した「個人攻撃コンビナート」(Shaming Industrial Complex)が持つ破壊的な影響を明敏に分析する一冊

 

「シェイム(恥・不名誉)」は強力で便利なツールだ。腐敗した政治家や態度の悪い有名人、略奪を行う企業を公の場にさらすとき、私たちは公平性や正義といった価値を追求している。しかし、シェイミングは危険な新段階に達している、とキャシー・オニールは本書で啓発する。シェイミングによる攻撃は日増しに「武器」と化しており、社会的な問題の責任を制度や組織から個人に転嫁するための手段となりつつある。学校でランチを買うお金が無い子どもや、仕事を見つけられない親。彼らを「恥ずかしい人間」としてさらす事は、社会として負うべき責任から私たちの目を背けさせる。やがてそれは、補助を受ける価値の無い人たちを支援するためになぜ高い税金を払わなければならないのだ、という考えに行き着く。

 

オニールはこうした「シェイム」の裏側にある構造を追及する。そして、政府や企業や健康保険制度がいかにそれらを利用しているかを明らかにする。リハビリ医療や刑務所、製薬企業や食品企業、そしてソーシャルメディアプラットフォームにおける痛切な事例を紹介し、彼らがいかに弱者を「打ちのめす」事で利益を得ているかを論じる。またオニールは、身体イメージに関する自身のストーリーを本書に織り込む。減量手術を受けて長年の「シェイム」を振り払った、自身の決断についてである。

 

明晰かつ緻密に、オニールは「シェイム」と権力との関係を分析する。このシステムは、誰に利益を与えているのか?人種差別主義者や女性差別者やワクチンへの懐疑論者を非難する事は「非生産的」なのか?もしそうだとすれば、誰かが「キャンセル」されるべきなのはどのような場合か?人の行動にインセンティブを与える仕組みが、いかにして「シェイミング」の悪循環を固定させているのか?そして、最も重要な事として、私たちはそれに抵抗できるのだろうか?

 

赤字化は私によるもの。いま(2021年8月13日時点)話題になっている以下の件で話されている内容と、振る舞い方が、そのまま当てはまると思って強調した。

 

上の例でメンタリストDaiGoがやっている事は、要するに、差別を「武器」として使って、それで商売をするという事だと思う。

 

未読だけどオニールの本がおそらく重要なのは、サブタイトルが「誰が新しい時代の侮辱で得をしているのか」となっていて、こうした炎上を「誰がそれによって利益を得ているのか」という視点で分析しようとしているであろう点だ。例えば差別的な発言があった時に、アテンション(アクセス数)を稼ぐ当事者はそれで得をしているかもしれない。これはいわゆる「炎上商法」として容易に想像がつく。でもさらに言うと、当事者とは別に、それを放置する事で利益を得ている誰かがいないだろうか?それはソーシャルメディアなどのプラットフォーム提供者かもしれないし、テレビ番組であれば、誰かを個人攻撃するコメンテーターを意図的に起用して放置している制作者かもしれない。差別は当然非難されるべきなのに、差別が「商売」として成立してしまうのはなぜだろうか。そういった社会的な力学や構造を分析しないと、ネット上で個人攻撃を「武器」として使う(weaponizeする)人が出てくる状況は変わらないのではないか。オニールはそんな主張を展開するのかもしれない。発売前なので勝手な想像ではあるが。

 

*参考:オニールの前著を紹介した過去記事

 

*参考:新潮社「フォーサイト(Foresight)」で始めた連載でもオニールの前著に言及しています。こちらも是非。