未翻訳ブックレビュー

世界の本への窓 by 植田かもめ

「シェイム・マシーン」な社会をどう生きる? - The Shame Machine by Cathy O'Neil

The Shame Machine: Who Profits in the New Age of Humiliation (English Edition)

 

新潮社「Foresight」での連載「未翻訳本から読む世界」、更新されています。

 

データサイエンティスト・数学者であり、AIやビッグデータによるアルゴリズムが差別や偏見を助長し固定してしまう危険性に早くから警鐘を鳴らしてきたキャシー・オニールの新著「The Shame Machine」を紹介しています。

 

オニールの活動には個人的に昔から注目しています。もともとは「サピエンス全史」のユヴァル・ノア・ハラリが、オニールの前著「Weapons of Math Destruction」(邦題はあなたを支配し、社会を破壊する、AI・ビッグデータの罠)をある年のベスト本に挙げていて存在を知りました。前著はこのブログでも紹介して、タトル・モリエイジェンシーさんのWebメディアで連載をさせていただいた時も一番最初に紹介しました。

 

今回の新著もかなり以前から発表はされていて、過去記事で紹介しました。

 

新著のテーマは「シェイム=辱め」。ネット上の誹謗中傷や、いわゆるキャンセル・カルチャーと呼ばれる個人の排斥をテーマとしています。「シェイム・マシーン」というタイトルは「個人攻撃マシーン」と訳すのがよいのではないでしょうか。

 

あくまでテクノロジーをテーマにしていた前作に比べると、オニール自身の減量手術の経験も交えながら社会・文化一般を論じる野心的な内容になっています。けれども、「特定の個人に攻撃が集中する事で、本当に解決すべき社会の問題が温存されてしまう」というテーマは前作とも共通するとも言えます。

 

Foresightの連載では、意図したわけではないのですが「公平性」や「公益性」をテーマとする本を多く紹介しています。SDGsや気候変動という社会課題を扱う本が数年前から本当に増えてきたので、それに引っ張られているのかもしれません。

 

オニールの本を読んで、「ソーシャル」と「パブリック」の違いって一体なんだろう、と考え始めています。個人同士が「あいつは恥ずかしい奴だ」と攻撃し合う今のツイッターなどのSNSの世界は、「ソーシャル」ではあるけれど「パプリック」ではない。個人のモラルや不快感を単に総和にしたものではないところに、「パブリック」と呼ぶべき価値があるのではないかとぼんやり考えているのですが、その価値が何なのかはまだうまく言語化できません。