ビッグ・ミー、そしてモラルへの暗い道 - The Road to Character by David Brooks
2016/04/17 初出
2017/01/19 日本語版発売につき更新
デイヴィッド・ブルックス「あなたの人生の意味―先人に学ぶ「惜しまれる生き方」として発売
(先人を偲ぶこの本では絶対に取り上げられないであろう大統領が就任する日の4日後の2017/01/24に発売)
David Brooks "The Road to Character"
誰の心の中にも存在する2つの人格をめぐるノンフィクション。
「人格への道」という意味の本書は、エコノミスト誌の2015年ベスト本のリストにも選出されている。
広い意味では自己啓発本だけど、「こうすれば成功できる」「きっとあなたも成功できる」と説く本ではない。かわりに「失敗する自分の弱さを受け容れよ」と語りかける。
アダム1とアダム2
履歴書に書かれる美徳と追悼文に書かれる美徳は違う。履歴書にはその人が労働市場で果たした貢献やスキルが書かれる。けれど、葬式の追悼でたとえばその人が有していた資格が語られることはない。その人は優しい人だった、勇敢な人だった、周りと信頼関係を築いてきた。追悼文ではそうした美徳が表現される。
本書ではこの2つの違いを表すモデルとして、Adam I(アダム1)とAdam II(アダム2)に人間の性質を分ける。ユダヤ教の聖職者(ラビ)であるジョセフ・ソロヴェイチクが1965年に著したLonely Man of Faithという本に登場する考え方だ。
アダム1は履歴書の美徳を象徴し、アダム2は追悼文の美徳を象徴する。アダム1は他人との勝負に勝つことで栄光を手にする。アダム2は自らの弱さとの勝負に勝つことで人格を築き上げる。アダム1は物事がどう動くか(how things work)を尋ねて、アダム2は物事がなぜ存在するか(why things exist)を問いかける。
アダム1のモットーは成功である。それに対して、人生をモラルにまつわるドラマとして経験するアダム2のモットーは、慈善、愛、そして贖罪(charity, love, and redemption)だ。アダム1は幸福を追い求めるが、アダム2は幸福は満ちることがないと知っている。アダム2は道徳的な喜び(moral joys)こそ究極の喜びとする。
人間は常にアダム1とアダム2の間で衝突と自己矛盾を抱えながら生きていて、両者をバランスさせることが人生の充実につながる。けれど、ニューヨークタイムズ誌のコラム二ストである著者のデイヴィッド・ブルックスは、自分はアダム1の世界に時間を使い過ぎてきたと述べる。実際よりも自信たっぷりに見えるように、実際よりも賢く見えるように、実際よりも信頼できる人と見えるように・・そう振る舞ってきた自分はナルシストのほら吹きだ(a narcissistic blow-hard)。そうザンゲする彼は、アダム1ばかりを重視して自己愛が膨張しているのは自分だけでなく、現代の一般的な傾向なのではないかと考える。
リトル・ミーとビッグ・ミー
1948年から1954年にかけて、心理学者が「自分が重要な人間だと思うか」と若者に尋ねる調査を行った。このときは12%がイエスと答えた。同じ質問をした1989年の調査では、イエスと回答した人間の割合は80%近くまで上昇していた。
「ナルシズムテスト」と呼ばれる別の調査では、あなたは注目の中心にいたいか、特別な存在だと思うか、自分の体を見るのが好きかといった質問をしてナルシズムの度合をスコア化する。2009年時点の調査によれば、過去20年間でスコアの中央値は30%近く上昇した。セルフィー時代の現代ではスコアはさらに上昇しているかもしれない。
小さな自分(Little Me)から大きな自分(Big Me)へ。この転換は第二次世界大戦後のアメリカの教育が一貫して目指したものである。自己肯定感を持って、自分にはなんだってできると信じる。この信念がもたらすポジティブなインパクトは巨大で、性別や人種などの差別を改善するパワーにもなってきた。
けれど、自分がどんどん大きくなるにつれて、アダム2の世界はしぼんでいく。成功を重視するアダム1の世界では、自分以外の他人との関係はモラルの問題ではなく、他人というリソースをどう割り当てて活用するかという問題に置き換わる。
本書はアダム2を見直そうと主張し、過去の人物たちのモデルケースを評伝として紹介する。V.E.フランクルの「それでも人生にイエスと言う」やトルストイの「イワン・イリイチの死」といった本も引き合いに出す。
アダム2は、私は人生に何を求めるか(What do I want from my life?)ではなく、人生が私に何を求めるかと問いかける(What does life want from me?)。自分の弱さと向き合ってアダム2を再発見した人間は、金持ちにはなれないかもしれないけれど、成熟した人間になれる。人格への道で得られるのは、表面的な自尊心(self-confidence/self-esteem)ではない、自己尊敬(self-respect)なのだから。
David Brooks著'The Road To Character'は2015年4月に発売された一冊。日本語版の発売予定は不明。
感想:モラルの道は暗い道?
ここからはコメント。本書はモラルの重要性をストレートに語る本だ。そもそもモラルとは何かという定義は本書にはないが、このエントリーでは「人が行動と考えの善し悪しを判断するための基準で、かつ、法律や契約のような外的強制力ではない内面的なもの」をモラルとしておく。
個人的な話だけど、自分はどちらかというとアダム1を重視して生きてきた。内面や人格うんぬんかんぬんよりも、タスクがちゃんと前に進むことが大事。たとえばラーメン屋や居酒屋の店員がどんなアツい思いを抱いてその仕事をしているかはどうだっていい。それよりオーダーを忘れずに通してほしい。会計を無駄なくささっと済ませてほしい。不倫しまくりの政治家がいても実務能力に長けているならかまわない。
とか思っていたのだが。
30代半ばになりオッサンの道を蛇行運転しながら進む現在では、やっぱりモラルも重要だなと翻心するようになってきた。ただし、モラルとは「XXするなんて許せない/けしからん/ゲスだ」と他人を非難するための道具ではない。自分を省みて律するための規範だ。
アダム1の世界だけを重視して経済的な成功や他人からの評価を追求していてもやがて限界が来る。アダム2のモラルがないと、アダム1の成功は自己満足的で脆弱なものになってしまう。そんな風に考える本書の主張には同意できた。若いときに読んだら「ケッ」とか思っていたかもしれない。
なのだけど、だ。
話の方向をもう一度逆に向けるが、本書を読んで、モラルを重視するという道がいかに険しくて不透明で暗い道なのかも思い知らされた。
理由は2つ。まず、評伝として語られる人物が戦間期の軍人とかなので「こんな偉人さんたちを見習って生きるのはムリ」と単純に萎えた。
それからもう1つ。アダム2の世界を支えるインフラってあるのだろうかと疑問に思った。
アダム1の世界には明確な基盤がありルールがある。それは市場原理だ。競争をして、他人から価値が認められれば利益を得られる。それは不完全で冷たいルールだけど、だいたいの場合においてフェアだ。
一方で、アダム2の世界、モラルの世界における基盤はなんだろう。本書はかなり色濃くキリスト教(またはユダヤ教なのかな?)の世界理解をベースに書かれている。罪(sin)という言葉が何度も登場したりする。モラルの基本原理を提供する基盤は宗教だろうか。
けれども、経済発展が進むと基本的にはどの社会でも宗教は後退する。昨今の原理主義的な動きに目を奪われがちだけど、英エコノミスト誌の見立てでは、21世紀後半といった長期的なスパンで世界の最大宗教勢力となるのは、キリスト教でもイスラム教でもない。無宗教だ。
(「2050年の世界―英『エコノミスト』誌は予測する」より)
思うに、モラルって、マッドマックスでイモータンジョーが水をまくみたいに権威や権力が上から一斉配信して押しつける道はもう枯れつつあるのかもしれない。残されているのは、バケツリレーみたいに個人から個人へピアツーピアで伝わる暗流だけ。学校の道徳の授業は今すぐ時間割から廃止すべきじゃないかと思う。でも、それは子どもがモラルを学ばなくてよいということを意味しない。教師や親は、子どもが善し悪しを自分で考えるようになるために、自分たちのモラルを伝えるコミュニケーションをすべき。そんな風に考えさせられた本だった。
(マッドマックス怒りのデスロードのワンシーン。何度見ても何てムダの多い配給システムなんだ・・)
Time is gettin' harder and harder, more and more each day
時代は日に日にますます厳しくなるばかり
Still I am determined that I'm never gonna change my way
でも決して自分のやり方は変えない
Thinking 'bout love the way it should be
あるべき愛のすがたについて考える
You gotta open your eyes and you will see目を開いて、そうすればわかるだろう
About love the way it should be
あるべき愛のすがたについて
You gotta make up your minds and you'll advance humanity
心を決めて、そうすれば高められるだろう、人間性を
Humanity, humanity, humanity
人間性、人間性、人間性を
- John Legend & The Roots "Humanity (Love The Way It Should Be)"
I'm a born sinner
俺は生まれながらの罪人
But I'll die better than that, I swear
でも誓う、マシになって死んでやるって
- J.Cole "Born Sinner"
*1:デイヴィッド・ブルックス「あなたの人生の意味―先人に学ぶ「惜しまれる生き方」として日本語版発売