未翻訳ブックレビュー

世界の本への窓 by 植田かもめ

ワインが好きなふりをしなくてよい理由 - The Wine Lover's Daughter by Anne Fardiman

The Wine Lover's Daughter: A Memoir

The Wine Lover's Daughter

 

オーガズムに達したふりをする女性のように、自分はワインに満足していると装ってきた。

 

エッセイストのアン・ファディマンはそう語る。本書"The Wine Lover's Daughter"(ワイン愛好家の娘)は、彼女の父との思い出の記録である。そして同時に、偏見やコンプレックスから科学で自由になる本でもある。食という文化にまつわるヒエラルキー、つまり「この味がわかる人はわからない人より格上」といった階級意識からの解放である。

 

目次

 

一流の人間は一流のワインを好む?

彼女の父のクリフトン・ファディマンは1904年生まれ。知識人であると同時にいわゆる文化人であり、ニューヨーカー誌の書評家として活動しながらラジオのパーソナリティなども務めた。

 

大恐慌時代の1930年代からワインのコレクションを始めた父は筋金入りのワイン愛好家であり、"Joys of Wine"(ワインの喜び)という本まで著している。曰く、ワインとは、口に入れるやいなや人間に思考を迫るものだ。アメリカン・ライフの大半は下卑たもの。でもワインにその下品さはない。一流の人間は、一流のワインを愛する。父が書き続けたワインの記録ノートは"Brief History of Love Affair"(めぐり逢いの短い歴史)と題されている。

 

そんな父のもとで育った彼女は、ワインの知識について英才教育を受け、ブドウの品種の難しい名前を幼い頃から暗誦できた。やがて大人になり彼女は数多くのワインを経験するけれど、その味が好きになれない。でも、いずれは変わるはずと彼女は信じていた。なぜなら自分は「ワインを好きになるタイプの人間」なのだから。

 

父は彼女に言っていた。教養のある人間ならば、ワインを愉しむのは自然なことである。イエス、私は教養のある人間だ。西洋文化に造詣が深い。ベン・ジョンソンとサミュエル・ジョンソンの違いがわかる。もっと言えば、ベーレンアウスレーゼとトロッケンベーレンアウスレーゼの違いだってわかるし、スペルだって書ける!*1だからワインを美味しいと感じるのが当然で、問題はいつそうなるかだけ。そう思っていた。

 

彼女はあるとき、シャトー・オー・ブリオンを飲む機会に恵まれる。最上級ワインのひとつだ。ひとくち飲んで、彼女は思う。これってまるで、豚が掘り出したばかりの泥だらけのトリュフみたい。やっぱり美味しくない。彼女はグラスの半分も飲むことができなかった。

 

そして、40歳を過ぎたころになってようやく、彼女は認めざるを得なかった。父を愛していたけれど、自分がワインを本当に愛したことは一度もなかったと。

 

味覚過敏

さて、ここから本書は、単に父と娘のつながりを綴ったエッセイに留まらない展開を見せる。

 

彼女は言う。自分はワインの味が嫌いなわけではない。味が強すぎるのだ。遺伝的な要素と環境的な要素により、「味覚過敏」という状態にある人が一定の割合で存在する。彼らにとって、塩はよりしょっぱく(saltier)、砂糖はより甘く(sweeter)、そしてウスターソースはより旨味が強く(umamier)に感じられる。

 

専門家との対話や調査を本書の後半で展開し、彼女は結論づける。ワインに限らず、あるものの味が「わからない」人は、ただ単に異なる感覚宇宙(perceptual universe)を生きているだけなのだ。

 

子どもは大人に比べて苦いものや酸っぱいものを避けたがるけれど、それは彼らの味覚が未成熟だからではない。味覚が鋭敏すぎるからなのだ。逆に言うと、それらの味が「わかる」ようになるのは味覚の神経の劣化である。

 

だとしたら、たとえワインが「ボトルに入ったポエム」(byロバート・ルイス・スティーブンソン)であり、「神が人間を愛しているという動かぬ証拠」(byベンジャミン・フランクリン)であり「文明のしるしのひとつ」(by彼女の父のクリフトン・ファーディマン)だとしても、ワインを好きかどうかと一流の人間であるかどうかは何の関係もない。愛する父が愛したワインを、自分も愛したかった。でも、そもそも味わっている世界が違っていた。彼女は、ワインよりもアイスクリームが自分は好きだと認める。

 

まとめ

ふつう、人は服を選ぶときに自分の身長や体型を意識する。どんなに高級な服でも、自分に合わなければ身につけられない。

 

同じように、味覚についても人それぞれに固有の偏りがある。本書の中で彼女が訪ねる味覚の研究者は、舌の写真を撮り、美蕾の分布からその人の味の嗜好を分析する。

 

だから、自分に合わないものを好きなふりをするのは、「一流のブランドだから」という理由でサイズの合わない服を無理に着るようなもの。それよりも、自分にフィットするものを探すべき。上述の味覚の研究者は、通常より度数の低いワインを彼女に薦める。それは彼女にも美味しく感じられるもので、ある特定の地域が産地だ。「ここがあなたのワインの国なのよ」("This is your wine country.")と彼女は説明を受ける。これなら、父とは違うやり方で、ワインを好きになるかもしれない。

 

アン・ファディマン著、The Wine Lover's Daughter(ワイン愛好家の娘)は2017年11月に発売された一冊。軽妙で上品なユーモアを楽しめるエッセイで、管理人はこういう本が大好きだ。日本語版の発売予定は不明。

 

本の愉しみ、書棚の悩み

本の愉しみ、書棚の悩み

 

*アン・ファディマンが過去に出したエッセイ(絶版)

*1:ベーレンアウスレーゼBeerenausleseとトロッケンベーレンアウスレーゼTrockenbeerenausleseはどちらもドイツワインの等級分類