未翻訳ブックレビュー

世界の本への窓 by 植田かもめ

note個人アカウント開設と「だいたい3人は生き残る」読書週間

 

少し前から、note上の個人アカウントで読書日記を書き始めた。この記事は、始めた理由とか書いてみて感じていることなどの長い余談。

 

「読み応えある」記事は読まれない

「基本読書」の冬木さんが日記を書いているのを読んで、自分もこういうの書きたいと思ったのが直接のきっかけだけど、「動画のないYoutubeチャンネル」みたいなユルい文章を書いてみたいとしばらく前から考えていた。

 

スマホでダラダラと動画を見てしまう時間がけっこうあるのだが、Youtubeの動画がよく見られている理由って「作り込みすぎていないから、見る側も心理的なハードルなく見始められる」からだと思う。

 

映像でも本でも何でも、作り込んだ重厚感のあるコンテンツって、見終わったときの満足感も高いけれど、見始めるときに意志力が要求される。結果、そもそも見ずに終わる、という場合がほとんどだ。ネットフリックスが「あとで見る」リスト機能の使われ方を分析したところによると、ユーザーは高尚で堅い映画を山ほどリストに登録するのに、実際はほとんど見ずに普段通り卑近なコメディや恋愛映画を見るらしい(ダヴィドウィッツ「誰もが嘘をついている ビッグデータ分析が暴く人間のヤバい本性」より)

 

自分はこのブログとか「翻訳書ときどき洋書」への寄稿連載で、Web記事としてはおそらく長い部類の書評を書いているのだけど、たとえばはてなブックマークで「あとで読む」のタグがついたり、公開前の記事に「読み応えありますね」という感想をいただいた場合には、それはほめ言葉ではなくて「読まれない」フラグだと思っている。

 

構成とかをしっかり考える文章も書きたいのだけど、もっと「残り物で短時間で作ったおつまみ」みたいなモノも書いてみたくて始めてみた。

 

あと、自分の書評はまだ翻訳されていない本の紹介がメインなのだけど、実際に読んでいるのは日本語の本が多いし、音楽とか映画とかラジオとかも好きなので、雑多に何でも感想を記録したくなった。普段からユーロニュースやアルジャジーラのライブニュース配信も見るけれど、ハライチのターンとかあちこちオードリーも大好きなのだ。

 

「私」より「人間」を主語にしたい

いちおう「日記」と銘打っているので、自分の素性が分かるようなことも書くようにしている(妻と子どもがいる男性であるとか)。仕事はけっこう秘匿性が高いため「これはネットに書いてもいいけどこれはマズい」みたいな判断をするのがめんどくさいから多分何も書かない。

 

ただし、実際に1-2週間程度書いてみて分かったのだけど、自分には「私はこういう人間だ」と言いたい欲求ってほとんど無かった。そのかわり「人間ってこういうものだ」「人間が集まっている社会ってこういうものだ」と言いたい。

 

宮藤官九郎が自身の監督作の劇中歌として作詞した「天国」に「人はみな 地獄に詳しい でも天国のことは誰も知らない」という歌詞があって、そんな感じのことをさらっと言ってみたい。

 

G.M.ワインバーグとか、山本夏彦とか、自分が好きな文章の書き手もそういう言い回しをするタイプの人だ(山本夏彦の「世は〆切」って、ジョン・レノンの歌よりもはるかに少ない語数で、キリストの言葉よりもはるかに重要で、ピタゴラスの定理よりもはるかに厳密な、世界の真理を語っている言葉だと思う。)

 

世は〆切 (文春文庫)

世は〆切 (文春文庫)

 

 

「だいたい3人は生き残る」読書週間

そんなこんなでfreestyleの読書日記を書いている。既に毎日書くのは挫折したし、今後も同じになりそう。

 

だいたい普段から7、8冊の本を同時に読んでいる。でも、そのうち何冊かはすぐに読むのをやめてしまうし、さらに何冊かは飽きてきたらやっぱり途中で読むのをやめる。

 

結果、だいたい3冊ぐらいはちゃんと読んでいる。アクション映画やサバイバル映画でも、漫画やゲームでも、主要な登場人物が7人いたら、だいたい3人ぐらいは生き残るのがよくあるパターンだと思うので、無理しないで続けられるちょうどいい習慣だと思っている。