未翻訳ブックレビュー

世界の本への窓 by 植田かもめ

インターネットだいっきらい - I Hate the Internet by Jarett Kobek

I Hate the Internet (English Edition)

I Hate the Internet by Jarett Kobek

 

もしカート・ヴォネガットがはてな匿名ダイアリーを書き殴ったとしたら。
そんな小説が本書'I Hate the Internet'である。

 

トラルファマドール星人やボコノン教は出てこないけれど、かわりに、マーク・ザッカーバーグもシェリル・サンドバーグもマーベル・スタジオもレディー・ガガも実名で罵倒されている。

 

小説書いたインターネット死ね

本書はトルコ系アメリカ人作家Jarett Kobekの長編小説第1作。本書を出版するために彼が共同設立したLAの独立系出版社We Heard You Like Booksから発売されている。

 

2013年のサンフランシスコを舞台とする本作のなかで、主人公である女性作家アデライン(Adeline)は、黒人男性の友人との合作で連載コミックを発表する。女性差別と人種差別が蔓延している社会への対策として、ふたりはともにペンネームを使う。「M.アブラハモヴィッチ・ペトロヴィッチ」というバロックなロシア人男性名をアデラインは選んだ。ラッキーなことに作品は映画化もされて彼らは有名になるが、アンラッキーな事態に巻き込まれた彼女はやがて「21世紀ただ一つの許されざる罪」(only unforgivable sin of the Twenty-First Century)を犯す・・

 

というのがストーリーのさわりなのだけど、本編の進行そっちのけで、有名なインターネット企業や起業家、政治家、セレブなど、ネット時代におけるイケてる連中を片っ端から実名でdisっていく。「ピーター・ティールとかいう武器商人」「儲からないWebページのファウンダーであるジェフ・ベゾス」といった感じ。著者が自分の出版社から発売したのも納得。

 

現実のひどさに負けているディストピア

そんな本作では、経済格差や人種差別や性差別の問題が誇張して描かれていて、それらをドライブさせる燃料としてインターネットがやり玉に挙がる。近年のアメリカの問題を風刺していて痛快。

 

・・と言いたいところなのだけど、正直、2016年8月現在のアメリカで実際に起こっている「オルト右翼」だの「メニニズム(男性主義)」だの「ダークエンライトメント(暗黒啓蒙)」といった動きに比べると、本作の戯画化されたディストピアは全然ひどくなくてむしろマシと思ってしまった。いずれの言葉も、前の記事でも少し紹介した町山智浩さんのラジオと音声配信で知った。

Alt-right - Wikipedia, the free encyclopedia

「オルト右翼」・・いわゆる「ネトウヨ」のアメリカ版。伝統的な保守主義から距離を置いて、より先鋭的に白人優位主義や反移民、反多文化主義の立場を採る

Meninism - Wikipedia, the free encyclopedia

「メニニズム」・・男性主義。もともとは「フェミニズムを支持する男性(male feminist)」の意味で使われていたが、ソーシャルメディア上で反フェミニズムのジョークに用いられ、男性の権利を主張するムーブメントとして使われるようになった

Dark Enlightenment - Wikipedia, the free encyclopedia

「ダーク・エンライトメント」・・暗黒啓蒙主義。ルネサンスから近代の啓蒙主義を経て現在に至るまでの人間中心主義/個人主義を逆行させて、暗黒の中世に逆戻りさせるべきとする思想。反民主主義、反グローバリゼーションであり「ネオ反動主義」(neoreactionary movement)とも呼ばれる

*解説はリンク先のWikipediaなどを参考に管理人が勝手に作成した

 

フィルター・バブルとインターネット企業の収益モデル

さて、フィクションにせよ現実の動きにせよ、他者に不寛容なこうしたムーブメントの蔓延と、ソーシャルメディアを含むインターネットとはどのような関係にあるだろう。

 

「インターネットでは自分の見たいものだけを見てしまうので、偏った思想が強化されてしまう」

 

そんな風に言うとなんかそれっぽい気がする。イーライ・パリサーの「フィルターバブル─インターネットが隠していること」にはもっと詳細に書いてある。同書は、検索やSNSフィードのパーソナライゼーションによって、知らないうちにユーザーは偏った情報の「バブル」の中に閉じこめられてそれぞれ孤立してしまうと述べる。知っている人には今さらの話だろうけれど、グーグル検索はデフォルトだとパーソナライズ検索がオンになっているので、同じ言葉を検索しても人によって表示結果は異なる。こうしたフィルタリングの行き過ぎによって、偏った情報を集める人にはより偏った情報が集まってしまう。

 

でも、問題は別のところにあるかもしれない。そもそもこうしたパーソナライズは何のために行われているのか。'I Hate the Internet'には次のようなくだりがある(日本語は拙訳)。

 

"In the Twenty-First Century, racism, like any formation of the human mind, was a useful product. Racism allowed for more advertisements. The protesting of racism on social media was another formation of the human mind. It too was a useful product. It too allowed for more advertisements. The system was perfect and self-contained. It was content neutral. It was designed to enhance and induce inflamed human emotions."

「他のどんな思想とも同じく、21世紀において人種差別は有益な製品だった。人種差別はより多くの広告をもたらす。人種差別への反抗はまた別の思想であり、それもまた有益な製品だ。より多くの広告をやはりもたらすのだから。これは自給自足の完璧なシステムであり、コンテンツの内容に中立的だ。このシステムは人間の感情を炎上させるよう誘導し促進するべく設計されていたのである。」

 

アメリカの成人がモバイルとデスクトップ/ラップトップ端末を一日あたりに利用する時間は5.5時間以上*1というデータがある。ティーンならもっと多いかも。グーグルにせよフェイスブックにせよ、主な収益源は広告収入だ。パーソナライズの目的もこの収入の最大化にある。そして収入の最大化のためにはアテンションを稼がなければならない。ユーザーにサービスをなるべく長い時間/多い回数利用させなければならない。

 

結局、人種差別で盛り上がろうが反人種差別で盛り上がろうが、そのアテンションは広告主に売れる「製品」であり、この収益モデルにとってはプラスなのだ。

 

そして、ユーザーに不快な情報を見せず、フィルター・バブルの中に閉じ込めておいた方がサービスはより長時間利用されるだろう(自分が好きな番組だけが編集されて流れるテレビと普通のテレビのどちらをより長く見てしまいそうか考えてみていただきたい)。

 

また、フィルターされた情報を得てユーザーが偏った人間になることは広告の売手にも買手にも(表には出さないかもしれないが)歓迎すべきことのはず。偏った人間の偏った趣味にパーソナライズされたターゲット広告を打ちやすくなるし、より行動を予測して誘導しやすくなる。

 

インターネットが本格的に普及して20年以上になるけれど、いまだにメジャーな収益モデルのひとつはこの広告収入モデルである。これが政治的なプロセスにも影響を与えているのではないか。

 

株主を持つ私企業であるグーグルやフェイスブックには、広告収入を最大化する責任やインセンティブはあっても、社会をより民主的にしたり多様な意見を許容する場にする責任やインセンティブはホントは無い(「邪悪になるな」とか「オープンでつながりのある世界を作る」みたいな崇高な志があるのかもしれないけれども)。

 

市民社会の成熟(って何?って感じではあるが)によって我々が差別などの思想を乗り越えるのと、広告収入に替わる収益モデルをインターネット企業が見つけて「人種差別が有益な製品」になってしまう状態を回避するのと、どっちが簡単だろうか。本書を読んでそんなことを思った。

 

Jarett Kobek著'I Hate the Internet'は2016年2月に発表された一冊。 正直、ムダに長い小説だし(いまの3分の1以下の長さでいいと思う・・)あと何年か経ったら陳腐化しそうなネタばかり。でも、いまのインターネットがひどいという問題意識は充満している。表現方法は拙劣だけど表現動機は切実、というタイプの本である。日本語版の発売予定は不明。

*1:以下サイトのデータより