未翻訳ブックレビュー

世界の本への窓 by 植田かもめ

向田邦子がビヨンセすぎて人生に前向きになれそうだ - 「手袋をさがす」

向田邦子ベスト・エッセイ (ちくま文庫)

向田邦子ベスト・エッセイ (ちくま文庫)

 

Spotifyのポッドキャスト番組「ホントのコイズミさん」の向田和子ゲスト回を聞いた影響で、2020年に発売された「向田邦子ベストエッセイ」を読んでいる。オリジナル編集のアンソロジーである。

 

最後に収められた一編「手袋をさがす」が、ものすごく好きだ。「自分らしく生きましょう」なんて言葉は一切使っていないのに、自分らしく生きる背中を押してくれる、またはケツを叩いてくれるエッセイである。「昭和へのノスタルジー」ではなく、いまでも読めるし、いま読まれるべきだ。文庫解説を書いている角田光代は「このエッセイが、ずばり向田邦子という人の本質だと思う」と書いている。


十数ページの小編なのだが、どんなエッセイなのかをかいつまんで紹介する。エッセイのネタバレを気にする人がどのぐらいいるか不明だが、ネタバレありであることをお断りしておく。

向田邦子、22歳の決心とは?

向田邦子は、「気に入った手袋が見つからないから」という理由でひと冬を手袋なしですごしたことがあったと述懐する。大学を出て映画の宣伝会社で働いていた22歳の時だ。風邪をひこうが周りにどれだけ忠告されようが妥協して間に合わせの手袋を買ったりはしなかったため、見かねた先輩の男性が、残業にかこつけて五目そばをおごりながら、次のように忠告してきたという。

 

「君の今やっていることは、ひょっとしたら手袋だけの問題ではないかもしれないねえ」

(中略)

「男ならいい。だが女はいけない。そんなことでは女の幸せを取り逃すよ」

 

これを聞いた向田邦子はハッとして、「やり直すならいまだ」「今晩、この瞬間だ」と考える。

 

当時の彼女は若く健康で、仕事にも恵まれ、つきあっていた男友達もいて、縁談も複数あった。にもかかわらず、「毎日が本当にたのしくありませんでした」と感じていた。小さい頃から高望みの性格で「このままでは、私の一生は不平不満の連続だろうな」と思っていたという。

 

そして彼女はその日、自分の生き方についてひとつの決心をする。

 

高望みをやめて「人並みの幸せ」で満足する決心だろうか?

 

自分の今までの生き方を反省して「女の幸せ」をつかむ決心だろうか?

 

違う。逆に彼女は「このままゆこう」と決心したのだ。

 

そしてーー私は決めたのです。

反省するのをやめにしようーーと。

ないものねだりの高のぞみが私のイヤな性格なら、とことん、そのイヤなところとつきあってみよう。そう決めたのです。

 

このエッセイの中で向田邦子は、「清貧」や「謙遜」といった言葉が嫌いで、自分は「極めて現実的な欲望の強い」人間だと語る。だから「中途半端な気休めの反省」をして、「毎日毎日の精神の出納簿の、小さな帳尻」を合わせて自己満足をするぐらいなら、はじめから反省なんかしないぞ、と決心したと語る。そして彼女は「自分の性格の中で、ああいやだ、これだけは直さなくてはいけないぞ」と思っていることを、逆に「みんなやってみよう」と考えたという。

銀座四丁目交差点のビヨンセ

そこから先の向田邦子は怒涛のアクションだ。勤務先の仕事を続けながら新聞社の編集部員も掛け持ちし、ラジオの原稿を書き、やがてテレビドラマの脚本も始める。三つの会社から月給をもらっていたこともあったという。

 

その頃、あまりのあわただしさに、一体、私は何をしているのだろう、と我ながらおかしくなって、銀座四丁目の交差点のところを、笑いながら渡っていて、友人に見とがめられ、「何がおかしいのか」と真顔で聞かれたことがありました。

(中略)

もっと、もっとーー好奇心だけで、あとはおなかをすかせた狼のようにうろうろと歩き廻った二十代でした。

 

ここまで読んだときに、向田邦子があまりにかっこいい女性すぎて、私の頭の中ではビヨンセが鳴り出した。

 

高度経済成長からバブル景気に差しかかる時代の銀座四丁目の交差点のど真ん中で、ビヨンセがキラキラしたジバンシーのドレスで踊りながら、精神の自由や女性の権利について歌っている!!

 

・・みたいなエネルギーを勝手に感じたのだ。全部妄想だけど。ちなみに向田邦子が決心をした22歳の時というのは1951年で、この「手袋をさがす」というエッセイが初めて所収された「夜中の薔薇」が発売されたのが1984年(没後の刊行)。男女雇用機会均等法が施行されるのが1986年である。全くの偶然であるが、向田邦子が飛行機事故で亡くなった1981年に、ビヨンセ・ジゼル・ノウルズ=カーターがテキサス州ヒューストンで生まれている。

結局、人は何が幸せなのか?

さて、ここからはこのエッセイの含蓄について私なりにもう少し考えてみよう。脚本家として大成功した向田邦子のエピソードを読むと、「自分がやりたい仕事を貫くべき」「仕事選びでも(またはパートナー選びでも)安易に妥協せず、目標を高く持つべき」といった単純な教訓を引き出したくなるかもしれない。

 

でも、あえて言うと、それはあくまで結果論でしかないと思うのだ。向田邦子自身もエッセイの最後に「私の書いてきたことは、ひとりよがりの自己弁護」だと判っていると書いている。

 

より重要なのは、向田邦子が「人並みの幸せ」なんてものは幻想だと気付いた点ではないだろうか。

 

なぜなら、この社会には「人並みの幸せ」なんてものは無く、ましてや「女の幸せ」なんてものも存在せず、「私の幸せ」以外にはあり得ないのだから。

 

「私の幸せ」をつかむためには何が大事か。たとえば「収入が下がるリスクがあっても自分のやりたい仕事をやるべき」なのか、「一生独身でいる可能性があったとしても理想のパートナーを探し続けるべき」なのか。統計を取れば傾向は見えるかもしれない。けれども、一概にどうするべきとは言えないだろう。どんな選択肢をとった集団の中にも、幸福になった人も不幸になった人も必ず存在する。

 

自分の経験ですみませんだけど、ある程度の年月を生きてきた中年としてひとつだけ確実に言えることがある。人生は「本当は別のことに時間を使いたい、と思いながら過ごす時間」を、できるだけ短くした方が、幸福度が高くなる。「自分が今やっていること」(または一緒にいる人)に満足できているかで、幸福が決まる。四字熟語だとこれを「一所懸命」という。ビジネス用語だとこれを「コミットメント」という。

 

おそらく向田邦子は、「良い手袋を手に入れる」ことではなく、「手袋をさがし続ける」ことにコミットするのが自分の幸福だと気付いたのではないだろうか。

 

そして、世間の尺度(なんてものが存在するとして)に合わせて、自己愛が強すぎるとか、うぬぼれが強すぎるとかを反省することが時間の無駄だと気付いたのではないだろうか。社会的に成功するとか金持ちになるとかは結果論だけど、何が自分の人生にとって無駄なのかをはっきりと気付くことは、幸福への近道になる。それがこのエッセイの一番のレッスンだと思う。

 

向田邦子「手袋をさがす」はこんな風に考えを膨らませてくれる名エッセイなのでぜひオススメしたい。この作品だけで文庫本購入費用のモトは取れると思う。

 

向田邦子ベスト・エッセイ (ちくま文庫)

向田邦子ベスト・エッセイ (ちくま文庫)

 

*私の脳内の向田ビヨンセはこの動画のイメージ。もう10年前、2011年のライブ映像

 

*聴き終わったあとで良い本屋にとても行きたくなるポッドキャストです