未翻訳ブックレビュー

世界の本への窓 by 植田かもめ

【最近のマンガ話#3】和山やま「夢中さ、きみに」、または、干渉しない多様性という存在しないユートピア

夢中さ、きみに。 (ビームコミックス)

 

前回と、前々回に続いて、最近読んだマンガの話。

 

和山やまの「夢中さ、きみに。」に男子校を舞台にした連作短編が収められていて、その中に「林くん」というキャラクターが出てくる。

 

彼は周りから見て「よくわからない男」だ。学校の階段の数を全て数えていて、「なんでそんな無駄なことしてんの」と聞かれる。「無駄なことするのってなんかいいでしょ」「無駄なことができるほど自由な時間があるっていうのがなんか、心地いいんだよ」と林くんは答える。「勉強しろよ」とツッコミが入る。

 

林くんは他にも、パンダの着ぐるみを着て歩いて職質されたり、街中の看板から一文字ずつ拾った写真をつなげて単語にしてツイッターに投稿したり、美術部員のキャンバスを台に使って干し芋を作ろうとしたりしている。

 

林くんは周囲に同調しないが、周囲も特に林くんに同調を求めない、というかそこまで関わり合いになろうとしない。現在連載中の「女の園の星」も含めて、和山やまの作品には人と人との間に乾いた距離感がある。

 

多くの人が感じる事だろうけれど、この独特の距離感は、写実的な絵柄も含めて佐々木倫子の「動物のお医者さん」を思わせる。「動物も人間もみんなそれぞれ好き勝手やって生きている」という感覚であるを。が、少し検索した限りだと本人は佐々木倫子を読んだ事なかったらしい。だとすると余計すごい。

 

さてさて、「多様性」や「包摂性(inclusion)」の重要さが政治の場でも職場でも語られるようになって久しいけれど、その根底には、「自分と異なる相手を理解しよう」という積極的なメッセージがあると思う。

 

それはとても大事なことなのだけど、和山やまとか佐々木倫子のマンガを見てると、実はもっとゆるい「理解できないけれど過度に干渉もしない」多様性のあり方があるんじゃないかという気がしてくる。

 

おそらくこれは、現実には大規模に存在できないユートピアだ。ヘイトとか差別とか排除とか、人間の強い負の感情を無いことにしているから。和山やまも佐々木倫子も、ギャグマンガという作品世界の物理法則もあるためか、人間のシビアでドロドロした感情は描かない。BLや恋愛を題材にする回もあるけれど、「ガチ」な恋愛は出てこない。

 

でも、こういう「干渉しないユートピア」には憧れてしまう。「多様性が大事だ」というメッセージを出さなくても、多様性があるのが当たり前、となっている世界である。

 

文化人類学者の小川さやかの著作が好きなのだけど、彼女の著作を読んでいると、少し近い印象を覚える。香港で働くタンザニア人のコミュニティを取材した「チョンキンマンションのボスは知っている」によると、インフォーマルな経済で生きる彼らは政府も法もモラルも信用しておらず、だましだまされて生きているが、それでも世界中と交易ネットワークを築いて、コミュニティは回っている。

 

同書によると、彼らはめったに「俺は◯◯が好きだ」と相手への好意を表明しない。そのかわり、すぐに「◯◯は俺のことが好きに違いない」と語るらしい。この戦略、分かるだろうか?「◯◯が好きだ」と自分からベットするとリスクが高いので、かわりに「◯◯は俺のことが好きだよな?」と投げかけて、イエスと答えてくれた相手とだけ付き合うという戦略なのだ。ヒドい戦略だけど合理的ではあって、なんだか「動物のお医者さん」に出てくる傍若無人な漆原教授を思い出した。