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未翻訳ブックレビュー

Lost In Bookish Rambles. 日本語版発売を待たずに本を紹介するページです

続・コミュニケーションに悩む全ての人にオススメの作家 - On the Move: A Life by Oliver Sacks

ひとつ前の記事↓で紹介した、神経科医で作家のオリヴァー・サックスの自伝に関する話の続き。

前の記事にも少し書いたけれど、自閉症などの神経障害患者が単なる治療対象としか見られていなかった70年代や80年代に、オリヴァー・サックスは彼らの内面と向き合いストーリーにまとめた。なぜ他の人とは違うやり方で彼らの声に耳を傾けたのか、そのヒントがこの自伝にあるかもしれない。

“I know. I am not that way, but I appreciate your love and love you too, in my own way.”

「わかっている。私はそっちじゃないけれど、あなたの愛に感謝しているし、自分のやり方で、あなたを愛している。」

50年代前半、オックスフォードの医学生だったサックスが、想いを寄せていた相手に自分の気持ちを伝えると、相手はそう答えた。

 

この自伝では、一連の著作の執筆経緯や、DNA二重らせん発見の共同研究者であるフランシス・クリックとの交流記録などに加えて、彼自身のパーソナリティが多く明かされている。そこには、自分が同性愛者であることも含まれる。

 

私見だけど、神経障害患者たちとコミュニケーションを取ろうとする彼の熱意と、彼が同性愛者であることとは無関係ではないと思う。

 

なぜなら、同性愛者であったことは彼に「伝えたい想いを伝えられない」「たとえ伝えても相手とはその想いを共有できない」という経験を多く与えたと思うからだ。

 

同性愛者にとっては、自分がどんなに想いを寄せていても相手が「そっちじゃない」ならそこでオワリとなる。相手を気遣ってそもそも自分の気持ちを伝えないケースも多いのかもしれない。そうした経験が、たとえば慢性神経病により話しかけても何も反応しない患者に対して「本当は何か伝えたいことがあるのではないだろうか」と接する彼のスタンスを支えているのではないだろうか。

 

イメージがわかない御仁は、本人も同性愛者である橋口亮輔監督の映画を観ていただきたい。現在公開されている最新作の「恋人たち」もいいけれど、特にオススメなのは、95年の「渚のシンドバッド」という作品だ(iTunesにある)。

歌手になる前の浜崎あゆみの名演(マジで名演。)が見られるこの映画は、同性間か異性間かに関係なく、「伝わらない」コミュニケーションのシーンが見ていてキツくなるほど続く。話しかけて、無視される。「優しいふりするなよ。」抱きしめて、突き放される。「自分のことばっかり。」ネタバレにならないネタバレをすると、登場人物たちは最終的にひとつの事実だけ共有する。それは「自分たちはわかりあえない」という事実だ。で、それだけを分かりあって、彼らは少し寛容になる。

 

劇作家の平田オリザは「わかりあえないことから──コミュニケーション能力とは何か」という著書の中で、わかりあえないことを前提としたコミュニケーションを「シンパシーからエンパシーへ」と呼んでいる。

俳優の本当の仕事は、「普段私は他人には話しかけないけれども、話しかけるとしたらどんな自分だろうか」と探ることだ。すなわち、俳優という自分の個性と、演じるべき対象の役柄の共有できる部分を捜しだし、それを広げていくという作業が求められている。  実はこういった考え方は、教育学の世界でも注目を集めている。これを通常、「シンパシーからエンパシーへ」と呼ぶ。エンパシーという英語は翻訳が難しいのだが、私は「同情から共感へ」「同一性から共有性へ」と呼んでいる。

ここで言うエンパシーとは、「わかりあえないこと」を前提に、わかりあえる部分を探っていく営みと言い換えてもいい。

同書によれば、コミュケーション「能力」よりも重要なのはコミュニケーション「意欲」である。少子化で一度もクラス替えがない学校で「みんなの前でなんでもいいから3分間スピーチをしろ」と教師が言っても、生徒たちはお互いを既によく知っているのでそもそも伝えたいことがない。伝える能力をいくら鍛えても、伝えたいという意欲がないと技術が定着しない。

 

では、伝えたいという意欲はどこから来るか?それは「伝わらない」という経験からしか生まれない。劇作家である平田オリザは「伝わらない」という経験をさせるメソッドとして教育現場に演劇を持ち込むことを提唱する(ちょっと我田引水はいっている感じもする)。

 

オリヴァー・サックスは演劇を学んではいないと思うが、自分の性について母親に告白した際に「あなたを生まなければよかった」と言われた過去を持つ彼は、多くの「伝わらない」経験をしていたのかもしれない。だから、自分の気持ちをうまく表現できない患者たちとも向き合おうと思ったのかもしれない。

 

今年の8月に癌のため死去した彼の自伝"On the Move: A life"は、「道程」というタイトルで日本語版が間もなく出るらしい。

 

なお、 念のためですが、この記事は「同性愛者はみんな他人に優しい」みたいなことを言うつもりは全くありません。聖者もいれば愚者もいるのはストレートの人たちと変わらないけれど、単純に個体数が少ないマイノリティなので、気持ちが伝わらない経験を多くする傾向(disposition)があるのではないか。という話です。 

On the Move: A Life

On the Move: A Life

 

 

道程:オリヴァー・サックス自伝

道程:オリヴァー・サックス自伝

 

 

渚のシンドバッド [DVD]

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わかりあえないことから──コミュニケーション能力とは何か (講談社現代新書)

わかりあえないことから──コミュニケーション能力とは何か (講談社現代新書)

 

 *日本で「コミュニケーション能力」という言葉が使われるとき、異なる文化・価値観を持った人に自分の主張を伝える能力と、「空気を読め」型の同調圧力に従う能力という矛盾した二つの意味が混同されている。という指摘をしていて面白いエッセイ本です